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のんきにお茶でも飲みながら

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2019年01月30日
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「オペラ座の怪人」は、劇団四季で観た時から大好きな作品だ。
熱をこめて、こう語ったたこともある。
「オペラ座の怪人」ラストシーンについて熱く語ったブログ

そして2004年の映画版は、「怪人の神秘性がなくなった」と一部で批評され、確かにやや現実的であったが、ラウルの、一生をかけてクリスティーヌを愛しぬき、彼女が亡くなった喪失感でボロボロになってもなお、ずっと彼女を愛している姿が感動的であった。
過去がカラー、現在がモノトーンで構成された映画版では、最後、オークション会場からラウルを見送る、モノトーンの中のマダム・ジリー(もちろん年齢的にメグだろう)が印象的だ。彼女もオペラ座に深い愛着を持っており、物語の中の重要な鍵を握る、そして芯のある人物に(親子共々)描かれていた。
そして、実は怪人も生きていて、二人の邪魔することなくずっと見守っていたと思わせる、墓前のバラ。

この素晴らしい、それぞれがそれぞれを想い合う愛を見せつけられ、美しい音楽とともに涙し、心震わせたものだ。エンディングの曲の美しさが、物語のよさをさらに引き出していた(しかもカルロッタ役の女優さんが歌っていた)。

数年前、「続編」ができると聞き、その物語を聞いて愕然とした。
心震わせた愛の物語が、無残に踏み潰される思いがして、観劇しなかった。
しかし、今回の再演では、長年のファンであり、いつか劇団四季で怪人役をやってほしいと願っていた​石丸幹二​さんがキャスティングされた。四季を退団したのでもう叶わないと思っていたので、観劇する気持ちになったのである。
だったら、四季時代に怪人を演じている市村さんも観ておきたいと思い、2公演チケットを取り、昨日、1公演目を観劇した。



最初に言っておく。
キャストも素晴らしい。音楽も素晴らしい。しかし、語が最悪だ。
私は、アンドリュー・ロイド=ウェーバーの曲が大好きだ。「オペラ座の怪人」も大好きだ。あまりにも愛情があるがゆえの辛口の感想であることを、ご理解願いたい。

(ネタバレ)
「オペラ座の怪人」のファンの方々は、この物語に納得するのだろうか?
少なくとも私にはできない。なぜなら、すべての登場人物が、旧作では心揺れ、悩みもだえ、心張り裂けようとも、愛ゆえに進むべき道を歩こうとしていた。そこには「気品」すら感じられた。
しかし、それが踏みにじられた。
怪人は老いの妄執を感じさせ、クリスティーヌはただの不倫女の上自己保身のため夫をだまし続け、ラウルは酒とギャンブルに溺れ、マダム・ジリーとメグ・ジリーは「こんなに○○してあげたのに報われない」から憎しみを抱くという、あの凜とした二人はどこへ?の有様だ。

そしてグスタフの存在。
旧作の後日談として、クリスティーヌが翻意し、怪人を選び、結ばれたのなら、それはそれでいい。
しかし、その後怪人は彼女の前から去った。
彼女のためを思ってその選択をしたのなら、自分で決めたことなのだから、責任を持て!
10年も経って「会いたい会いたい狂いそうだ」だと?!それは自分の責任だ。それを受け入れて生きていくと決めたのではないか?その潔さに、私は、怪人という人間の素晴らしさを見たのだ。それを今更何なんだ。
クリスティーヌも、ラウルより怪人を選んだのなら、家庭に戻るべきではなかった。しかも生まれた子供をラウルの子供だと信じ込ませていることが許せない。本当に怪人とともに行く気であったのなら、ラウルとは別れるべきだったと思う。あるいは、秘密を一生誰にも言わないことだ。グスタフのことを考えたことがあるのだろうか?母が不倫した結果自分が生まれたと知った時、どう思うか考えたのだろうか。ラウルとの10年間の家族としての積み重ねはどうでもいいのか?ラウルの子として育てたのなら、死ぬまで嘘を突き通すことだ。「真実を述べる」のは、「嘘をついている自分が辛い」からだ。
マダム・ジリーもメグ・ジリーも、なぜそこまで怪人に肩入れするのか分からない。二人とも彼を愛していた?!人として?興行主として?メグを、こんな風に汚してまでなぜ尽くす?そこの説明はまったくなかった。しかし、尽くすと決めたのは自分達の責任だ。彼の愛が再び現れたクリスティーヌに奪われようとも、それは人のせいではない。悲しかったのは、二人の凜とした気品が失われてしまったこと。旧作だったら、こんな考え方は決してしなかっただろう。天使のようなメグは、もういない。
ラウルは、怪人の思いを受け取ってクリスティーヌを守ると決めたはずだ。「結婚してからうまくいかない」というのは、クリスティーヌが怪人への想いを残していたからだと想像されるが、それでもなお、彼は彼女を守るべきだった。酒やギャンブルに溺れるのではなく。てっきり、グスタフが自分の子供ではないと感じていて、そこからおかしくなったのかと思ったのだが、全然疑ってないじゃないの!だったら、身を持ち崩す理由などない。​彼が弱かった​、それだけである。

確かに、現実の人間は強くないし、特に愛情が関わると理性を保つことも難しいだろう。
しかし、だからこそ私たち現実に生きる人間は、​物語の中に真の愛を見たいのである​

怪人の妄執に、言葉が悪いが嫌悪感さえ感じた。
市村さんの芝居は素晴らしい。体の切れも声の張りも本当に素晴らしい。しかし、私は「市村正親」さんが演じていることを知っている。舞台上でどんなに若々しくとも、自分の思いをぶつけてクリスティーヌに迫る姿は、どうしても、「ノートルダムの鐘」のフロローに感じた、老いの妄執を想起してしまうのだ。こればかりは役者は悪くなく、私の勝手な思い込みなのだが、そう感じたのは事実だ。あと、子供を抱く姿に父性を感じてしまった。これも私のイメージのせいなのだが・・・。市村さん、大好きなのでこのようなことを書くのが申し訳ないのだが。
役者個人の話になったので続ける。
平原綾香さんが非常に高い歌唱力を持っていることは知っていたので、それは楽しみだった。そして、実に美しい歌声で、高音は本当にオペラ歌手のようだった。以前テレビ番組で美空ひばりさんの真似をしていたが、それも素晴らしかった。そのせいか、低音は、細かいビブラートが私には少し演歌を聴いているようにも思えてしまった。
ラウルの小野田君は、伸びやかな歌声。コミカルな役から二枚目まで、幅が広い役者さんだが、これはどう演じればいい役なのだろう・・・。
マダム・ジリーの香寿たつきさん、メグの咲妃みゆちゃんの宝塚コンビ。香寿さんの歌唱力の安定感は抜群だし、みゆちゃんの「水着」のショーは本当に見ていて楽しかった。
グスタフは、​加藤憲史郎くん​。彼に当たることが多い。何度も観ているけど、もう子役とうより普通に大人と同じように立派なキャスト。

最後に。ラストシーンについて。
子供を使われると、お涙ちょうだいみたいでいやな気持ちになってしまう私である。
グスタフが崩れ落ちる怪人にそっと手を当てたからと言って、父であることを受け入れたと捉えるのは早計だ。グスタフは、10年もラウルを父だと思い、最近冷たいな、と思っても父を慕っていた。大人の都合で、子供の心が簡単に変わると思ったら大間違いだ。
あまりにもご都合主義のようにうつった。
この後のグスタフの人生を考えたのか?
真実を知ったラウルの苦しみとグスタフへの思いを考えたのか?

​​この物語は、10年経っても大人になりきれない二人が、恋だの愛だの周りを振り回しているだけの話を、「愛は死なない」という普遍的なテーマで正当化しているだけのように思える。​​

とはいえ、劇場では、周りの人が数名、鼻をすすっているではないか・・・
確かに、涙もろい私はぐっとくるシーンもあったが、あまりにも「オペラ座の怪人」への愛が強すぎるせいか、このような人物造形になったのが悲しくて、悔しくて、そちらでも泣きそうになった。
次の観劇は、石丸、濱めぐコンビだ。今回は衝撃が大きすぎた。次回の観劇は、もともと石丸さんを観たかったので、物語はともかく楽しみにしている。濱めぐさんも、超高音域をどのように歌うのだろう?平原さんの美声を堪能したので、こちらも楽しみである。
なんだかんだ言っても私は「オペラ座の怪人」が好きなのだ。だから、この物語に納得できないのである。
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最終更新日  2019年02月03日 10時12分30秒
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