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暇人たかし

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2021.12.20
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新宿tohoでマトリックスを見てきた。

一言で感想を言うと、味濃いで、という感じ。

とにかく、ぎゅっと纏めているので、どこから紐解くのが良いかというと、今作の主人公はトリニティである、というところ。いや、ネオとトリニティの二人がそう、といったほうが正しいのか。

とにかく、「二つ」ということが、本作のキモである。

これさえ押さえておけば、何となくお話全体の構造は理解できる。というか、ほぼ全てみたいなところはある。メタとか多重構造とか、何かとムツカシイことを考えてしまいがちだが、要するに、赤か青かという二者択一は「もう必要がない」。

さて、私が面白いな、と思ったのはどこかというと、
新しいキャラ(といっていいのだろうか)の立ち位置である。
精神衰弱のネオが通う精神科医、トリニティを現実に連れ戻すために同化するバッグス、という二人は、敵・味方というキャラ的な役割を持つ。

ネオの幻覚(というかグチ)を聞いていた精神科医は、全三部作を見て、ああだこうだ、と解釈するオタクや批評家みたいなところがある。そいつらは、解釈の違いで派閥を作り敵味方に分けて争いあう。どんなにメディアが発達しても分かりあうことはない。それに関わるネオ(というか制作者)はウンザリしてしまう。

敵味方が分かりあうにはどうすればいいのか。

答えみたいなものはバッグスの役割が示唆している。仮想に囚われているトリニティが現実に戻るために、一旦、バックスの脳をバイパスする必要がある、という、ちょっと強引な流れがある。このときバックスは、トリニティの現実の肉体と仮想の精神を繋げる媒体となる。

なるほど、メディアが発達しても分かり合えないのは、それを使う側の問題であって、メディア(媒体、テクノロジーそのもの)には善悪も敵味方もない。

例えとして、ちょっと文脈からズレるけれども、
0か1かの電子的世界観から、0も1も成り立つ量子的世界観への移行、というところだろうか。
あるいはプログラムの仕組みからも、似たようなことが言えるかも知れない。

ただ、ちょっとだけ悲しくなるのは、こういう文章を書いている私というのは精神科医の立ち位置で、映画制作者から言わせると、「もう古いよ」と言われているような気がするところだ。
でも私は、「昔は良かった本当のカンバセーションがあった」とは言えないし、言おうとも思えない。
制作者のアイロニー(映画)に対して、懐かしいなぁと思う(日記を書く)しかない。
こんな同窓会気分に浸るだけなら、「マトリックス」という映画シリーズは「もう必要がない」。

要るいらない、というまたしても二分法が出てくるが、これを突破するのは、私自身が媒体になるしかない。要するに、小難しいことは考えずに映画にドライブしろよ、ということだ。
「それが出来るから楽しいだろ。映画ってもともとそういうもんだよな」。
「そんなこと言って、俺をポッドに入れるつもりか? お前らの餌(電気)になる気は、さらさらねぇよ」





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最終更新日  2022.08.27 23:51:35
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