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テーマ:仕事しごとシゴト(23735)
カテゴリ:ブログっぽい?
これまで、いくつかの職場で働いてきましたが、瞬間で評価されてしまうことのむなしさをたまに味わうことがありました。
5人ほどでいっせいにフロアのおむつ交換をして、いい調子で人より早く終わって、寮母室で手を洗ってから、ゴクゴクを威勢よく水を飲んでいると、古参のケアワーカーがようやく終わったというかんじで、私をみて、『なに、ひとりで水飲んでるの!』といった按配というようなことがありました。 私は、人より多くのおむつ交換を手際よくやって、早く口の乾きを癒して、ひとり充実感に浸っていたかっただけなんですが。 間が悪い とか、 要領が悪い というのは、こういうことをいうのでしょう。 ※ ただ、私はおとなしく怒られながらも、なぜ、この人は“なにか意図があって水をごくごく飲んでいたのかもしれない”と、多角的な視点でモノを考えなかったのかな?とつい、考えてしまうのです。 想像力を働かせるということは、仕事をするうえで非常に大切なことではないかと私は思います。 例えば、その古参のケアワーカーが青い顔で、もったりと仕事をしていたら、 「なにか、体の具合が悪いのだろうか?」とか「私生活でなにか嫌なことがあったのだろうか?」と私は考えます。私に怒った人は意外とこんなときは、調子よくひとけにつかないようにやりすごしています。 それでいいんだ、と思います。 私も、人に気づかないようにやればいいのに、一事が万事、真正面で物事にあたるので、よくないことだと思います。 と思いつつも、石うちの刑で誰かに石を投げるよりもじぶんが石塚になってしまうような気がしまう。私はこんな性分なのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年12月06日 16時47分52秒
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