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カテゴリ:創作文
うつ病の経験がない人にそのつらさを伝えることは不可能だと思う。
不可能だからみな黙っているのだが、そこをなんとか伝えんとしたい気もある。全国のうつ病の皆様を代表して。患者の誰もが己のうつについて分析することがもうやっかいなのだが。 例えば、精神科の待合室にいる。都市にあるクリニックだ。繁盛しているので待合室も患者でいっぱい、席がなくで仕方なく立っているとしよう。40代の女性がティッシュペーパーで椅子を拭いている。なにかをこぼしてしまった様子。一生懸命ファブリックの部分を拭いている。ああ、この人はこうやって些細なことにこだわってしまうのだな。ちょっとくらい知らん顔していればいいのに。しばらくしてその女性は会計を済ませてその場を去った。 「よし。」とばかりに週刊誌をめくっていた手を休めてその席に座る。IT関係のM&Aについての記事を鬱なゆるい頭でたどっていた。椅子に座り、人生は金がすべてか、もっと尊い何かがあるかといった至極世俗的なことを、診察順を待ちながらもずっと考えていたのだ。椅子に座ると、ツンと酸っぱい臭いが立ち上ってきた。 え?これってゲロ? おもわず手を口にやっては~っと息を吐く。自分のじゃない。 先の女性が空っぽの胃から放出した液体がジーンズの尻のあたりにくっついて体温であたためられて臭ってきたのだ。ここで「うわっ!」と飛び上がることの出来る者は幸いである。待合室には10人前後の患者がみな静かに順番を待っている。もちろん皆がうつ病というわけではなくて、パニック障害、てんかん、更年期障害等、さらには人格障害の人もいるのかもしれない。別にうわっ!といっても誰が咎めることもないのだが、ゲロを感じた瞬間からいかに自然に席を立つのかを熟考するのが正しい情緒障害者のあり方だ。 だるい体を起こして雑誌を書棚に戻しに行った。 とても自然にゲロの臭いから解放されることができた。空いていた丸椅子に腰掛けて今度はカー雑誌を眺めることにしたのだ。その後に受付した患者さんはやはりゲロ席へと誘導される。メルセデスのニューカーを眺めながらゲロ地雷を踏んだ50代男性の様子をそれとなく観察した。その男性も椅子から飛び上がることもなく同行の女性と話をしていた。彼は別に外見上変わった様子もなく普通のおじさん。もしや気づいていないのかな、とも思ったが、いや、おじさんはきっかけをつかめずにいるのだろうと思うことにした。とにかく、精神科の待合室というところはゲロを感じても驚いて騒ぎ立ててはいけないことになっている。そしてゲロの地雷はしばらく効力を発揮して患者の鼻腔を刺激することとなる。「うわっ!」と声に出すのは診療所の看護婦であって、それは彼女が安定した情緒を保っている証でもあるのだ。(つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年05月01日 19時06分24秒
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