★★コーネリアス MOONWALK しむしむも彼と一度仕事をしたがっていた、、、鬼才?天才? 日本
コーネリアス MOONWALK ★『ヘイヘイヘイ』で初めて観たコーネリアス。黒い羽を背中にしょって、手にはビデオカメラを持って撮影しながらの奇妙な出で立ち。一目ぼれで娘は彼に超夢中になった。後からフリッパーズギターのこだと知ってからは、一層その謎めいた男の子に魅せられたようで、子供の頃からそうだったのね、彼等に関する書籍を買いあさった。そして、解散当時の彼等の苦悩を思ってたびたび涙するのでした(笑)あるコンサートの終わり、会場を出ると雪が降っている、、ファンたちは一斉に歓声を上げた。コーネリアスのプレゼントだった。イブに人工雪!1998年 12月 24日 ドラムロゴスその時のパンフレットの素晴らしさ!!作詞作曲コーネリアスWait until you see hey you, wake up and seeWait until you see僕の背中に生えてきた黒く大きな翼ゆっくりとただ動かせば 僕の体はホラずっと遠くのビルの上を越えて 街がみえて来た君ん家はドコ?The next stop is the Moon僕の背中に生えてきた 黒い大きな羽を更に大きく動かせば 僕の体はホラずっと遠くの無重力地帯へと 月に近ずいた君の国ドコ?Monn walk, wait and see, wake up and see光る月見上げてみるMoon walk, wait and see, jump up be free君の家捜してみるWait until you see hey you, wake up and seeWait until you see僕の体はこの星を 更に遠く離れて少し翼休めて月の上 ムーンウォークをするずっとこのまんま衛星を追い越して この先へ行こう君の星ドコ?Monn walk, wait and see, wake up and see光る月見上げてみるMoon walk, wait and see, jump up be free月の上歩いてみるMonn walk, wait and see, wake up and see君の家 捜してみるMoon walk, wait and see, jump up be freeこの先へ飛んでみるさWait until you see, waitin', wake up and seeThe next stop is the Monn, jump in', jump up be freeWait until you see, waitin', wake up and seeThe next stop is the MoonGo!★長いけど(笑)彼のファンは皆さん情熱的です♪興味ある方はどうぞ↓wikipedia 小山田 圭吾(おやまだ けいご、1969年1月27日 - )は、日本のミュージシャン。フリッパーズ・ギターのメンバーとして1989年にデビューし、フリッパーズ・ギター解散後は主にソロユニットCornelius(コーネリアス)として活動。経歴 和田弘とマヒナスターズの三原さと志の長男として、東京に生まれる。和光大学附属中学校・高等学校卒業。セツ・モードセミナーに通う傍ら、中学校の同級生であった小沢健二らと共にフリッパーズ・ギターを結成し、メジャーデビュー。解散後、しばしの期間を経て小山田圭吾による一人ユニットCORNELIUSとして音楽活動を再開する。ベンチャーキャピタリストである伊藤穰一とははとこにあたる。[1]また、イギリスのロックバンドのLushのヴォーカル、ミキ・ベレーニともはとこにあたるほか、ミキは永積崇ともいとこであることから小山田と永積もまた親戚にあたる。 活動初期から中期かけての楽曲においては、手法としてサンプリングの採用、テルミンを用いる演奏、HDDによる多重録音、ヘヴィメタルへの傾倒と新解釈、シンセサイザーを前に出した演奏、ハーモニー効果の模索、サウンド・エンジニアリングの創意工夫等が施された作品を発表している。また音楽プロデューサーとしても多くのミュージシャンの活動に貢献している。 さらに1992年よりレコードレーベル「トラットリア(Trattoria Records)」を主宰する。その活動は、作品発表の場を求めるミュージシャンと新たな音楽を求める聴衆の掛け橋として機能した。小規模のレーベルによる作品の頒布はそれまでにも存在したが、このレーベルは新しい潮流の軽音楽を、単に一部の熱狂的な聴衆に提供するにとどまらず、全国の一般的な聴衆に広く頒布することを可能にした。2002年にこのレーベルは終了したが、その活動期間は10年にわたり、250の作品をリリースした。 1995年、森永のチョコレート「小枝」のCMに女装して「森の中の少女」として出演した。 1997年、『FANTASMA』リリース後、アメリカのマタドール・レコードと契約。それを機に『FANTASMA』『POINT』(2001年作)の2作を世界21カ国で発表。この時期から現在まで、ツアーなどを含む海外での活動も盛んに行われることとなる。 それ以外にもBeck、Blur、Sting、Moby、Kings of Convenience、Yellow Magic Orchestra、Sketch Show、ピチカートファイヴ、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏、テイ・トウワ、スチャダラパー、電気グルーヴ、石野卓球、砂原良徳、EYE、OOIOO、Buffalo Daughter、坂本慎太郎、hide、Tahiti 80、Bloc Party、Manic Street Preachers、The Go!Team、MGMT、Gotye、Arto Lindsay、k.d.lang、Prefuse 73、Merzbow、高木正勝、UNKLE、Coldcut、The High Llamas、The Pastels、The Books、Petra Hadenなど、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやリミックスを行っている(#参加作品項を参照)。また、1999年にはThe Flaming Lipsとコーチェラ・フェスティバルやレディング・フェスティバルなどを含むアメリカ・ヨーロッパツアー、2002年にはAirとグラストンベリー・フェスティバルなどを含むヨーロッパツアーを行っている。 2000年にミュージシャンの嶺川貴子と結婚、同年11月2日に長男が誕生した。 2003年よりNHK-FMにおいて「小山田圭吾の中目黒ラジオ」を放送。夏と冬(元旦)の年2回のレギュラー番組で、毎回このために製作されたDJミックス(というよりも、実際は様々な音ネタによるサウンドコラージュの様相を呈している)が1時間弱放送される。 2003年 - 2005年に、V&A(ヴィクトリア&アルバート博物館/ロンドン)で行われた展覧会「Shhh…」への楽曲提供や、バービカン・アートギャラリー(ロンドン)で行われたJAM展などへの映像作品の出展、世界最大の映像の祭典「RESFest」にノミネートされたミュージッククリップ「DROP (DO IT AGAIN)」が、ベストオーディエンス賞を受賞するなど、音楽はもとより映像作品の制作など、幅広い活動を展開している。 2006年、アルバム『SENSUOUS』の発表とともに4度目のワールドツアー“SENSUOUS SYNCHRONIZED SHOW”を開始。公演の際には“THE CORNELIUS GROUP”とのバンド名義で活動。海外ツアーのオープニングアクトにはホーリー・ファックを迎えた。またビースティ・ボーイズとのツアーも開催。 2008年、NHK-BShiにてワールドツアーの特集番組「小山田圭吾の中目黒テレビ〜コーネリアス・ワールド・ツアー 2006-2008」が放送された。日・米・欧・豪でのツアーの模様が伝えられた。また、映像作品集「SENSURROUND + B-Sides」が、アメリカ「第51回グラミー賞」最優秀サラウンド・サウンド・アルバム賞にノミネートされた。 2009年9月より、オノ・ヨーコと息子のショーン・レノンらと共にYOKO ONO PLASTIC ONO BANDのバンド名義で活動開始。 2011年1月より、女性ヴォーカルSalyuの多重録音をコンセプトとした「salyu × salyu」の活動を開始。小山田全面プロデュースによるコラボレーションアルバム『s(o)un(d)beams』のリリースと共に、全国ツアーを開始。翌年開催されたバルセロナのソナー・フェスティバルやロンドンの「JAZZ CAFÉ LONDON」には、"Conrlius presents salyu x salyu"として出演した。 2012年、嶺川貴子と離婚。2013年よりNHK-FMにおいて「小山田圭吾の新町ラジオ」を放送。 2015年3月、長男の小山田米呂がギタリストとして参加する中学生バンド「Sure Shot」がファッションブランドPRETTY GREEN青山店でライブ開催。[2] 2015年8月、新曲を含めた自選ワーク集「Constellations Of Music」発売。 2016年1月、高橋幸宏、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井らと共に結成したバンドMETAFIVEとして、アルバム「META」を発売。 [堀込兄弟/キリンジ/小田和正/鈴木康博/オフコース] カテゴリの記事『可愛いに間に合わない』新着記事一覧↑ここから目的の記事を探して頂く方が早いかもしれない?もしもお気ににして頂けるならば、その時もここのほうが、、