テーマ:介護・看護・喪失(5314)
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わたしは文学少年だった。先生の薦める本はほとんど読んだ。
でもどれもうまい文章と思ったことはなく、感動したこともなかった。 ただ阿佐田哲也の本だけは面白く読んでいる。 これから紹介する文章は、ある看護婦さんがメールマガジンで書いているものだ。 とても優れた文章といつも思っている。 等身大で、淡々と、ビジュアルに書かれているのがいい。 しかもその人の愛を感じます。 日本の文学にはそれが感じられないのが、今まで感動しなかった原因だと思う。 わたしの日記にかなりの人が訪れてくれるようになったら是非、 紹介したかったのだ。 昨日この方の許可が出たので紹介します。 。o○ 患者の妻 ○o。 ――――――――――――― 60年以上連れ添った夫が死の淵にいる。 これ以上良くなることはなく、このまま黙って死を迎えるか、 最先端の医療を駆使して延命を図るか、 妻と主治医の間で話し合いが持たれた。 この夫婦には、子供がいない。 妻は、20年前から脳梗塞後の後遺症で寝たきりのこの夫を 在宅でずっと一人看てきた。 ここ数年、介護制度を利用し、訪問看護、ヘルパーなどの支援を受けているが 二人だけの生活に変わりはない。 話し合いの結果、妻の決断は、こうだった。 「延命治療は望まない、 心臓マッサージも人工呼吸器も要らない。 この人が苦しまないようにお願いします。」 妻は、入院中の夫にどうしても付き添わせて欲しいと念願し、 個室に移った夫の側に付き添った。 重篤な状態は、一日が過ぎ、二日が過ぎ、少しづつ悪化していった。 この間、面会者は、誰もいない。 今のうちに会わせたい人を呼んでおくようにと医師にいわれたが、 身内は、患者の姉や兄がいるが高齢のため来れないという。 ある夜私の夜勤に、妻は、夜中の12時を過ぎても、 簡易ベット(付き添い用仮のベット)に横にもならず、 相変わらず、椅子に座り夫の側から離れない。 夫の頬や手を擦り、「温かい」と言った。 私は、妻も高齢であり彼女の身体を考え、夜中は、横になることを薦めた。 しかし、「もう少し」といって聞き入れない。 このままでは、妻は倒れてしまうのではないかとさえ思った。 気持ちも張り詰めた一日一日。 妻にとってその体は、重く、ひどくしんどいだろう。と想像した。 私は、せめて夜中だけども体を休めてくれないと・・と思った。 夫は、その二日後、静かに苦しまずに、 晴れた午前中、天に召された。 最期に居合せた妻は、夫の名前を呼び続け側から離れず泣き哀しんだ。 夫の兄やら姉の身内らしい人が連絡を受け、亡くなった後、駆け付けたが その時の妻は、とても気丈に振舞われていた。 その日、同僚と話をしていて、 やはり、同僚の夜勤の時でもずっと寝てないことを知った。 いつまでも側に付き添って見守り、 時には、20年間自分が看護してきたからできるのだろう。 体位変換(*)の手伝いや私たちに夫に対して こうして欲しいなど細かい希望を話されることも多々あった。 夫への愛情をヒシヒシ感じるねと私達は、話し合った。 私は、自分の夜勤の時のことを思い出し、とても後悔した。 夫との時間は、限られた時間、大切な時間だった。 返事は、してくれないけれど温かい体の夫に寄り添う。 妻の深い想いを十分理解することを出来なかったように思う。 あの時、妻の体を心配したが、 その時の思いを深く理解してあげていただろうか? 限られた時間は、とても大切なものと教えられた。 亡くなった後、その患者のカルテを整理していたら、 入院申し込み書の申込者の欄に妻の名が、記してあった。 80歳くらいのその妻の名は、 カタカナで『マリア』と記してあった。 『マリア』 ・・・夫をこよなく愛する妻の名は、美しい響きだった。 彼女のメールから抜粋します。 私が書く上で私自身、気をつけていることがあります。 それは、患者さんにもそうですが読んでくださった人になるべく、プラスのアプローチが出来るように 心がけているということです。 彼女のメールマガジンのバックナンバーは、 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000093316 わたしもいつか彼女のような文章が書けたらと思っています。 最近泣くことが多い。 今日もまた彼女の文章で一番気に入ったものを読みながらないてしまった。 なけばなくほど心がきれいになっていく。 最近本当にそう思います。 ムッチー先生ありがとうございました。 お体大事にしてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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