1895178 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

岐阜の植木屋おくだガーデンのガーデニング庭師日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Archives

Profile

植木屋悪樹

植木屋悪樹

2006.05.05
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
おじいさんの葬式でバタバタし、ずっと日記をお休みした。

うちは田舎なので自宅で葬式をする。
ずっと入院していたが、容態が急変し夜の10時に亡くなった。
そこからバタバタ。

おばあさんの時で慣れている。
とりあえず病院から帰ってくるのを出迎える準備。
仏壇の隣の両親のベットの解体からスタート。

タンスも外に出している頃に、弟と従兄弟が到着。
掃除機雑巾がけなどを任せ、床の間に飾ってあった五月人形を片付けたころに
おじいさんを出迎え。

翌朝には近所の方がどっと押し寄せる。
田舎では葬式は近所の方が取り仕切ることになっていて、
実際にはあまりやることがない。

夜中は濃い親戚で思い出話など。

初めて聞くことが多く、とても驚いた。
オヤジは自分のことなど話すことをしないので、
奥田家の謎が多くちょっとすっきり。

おじいさんは事故の後遺症があり、自分がもの心着く頃には
精神病じゃないけど、それに近いかんじで、35,6歳の頃からなので
40年近く臥せっていたようなものだった。オヤジ達兄弟もかなり苦労したと思う。

中学校の先生をしていたのは知っていたが、本当は保健体育が専門だったとは驚いた。
昔の師範学校を出ていたらしく、おじさん曰く勉強ばかりしていたそうだ。
ひとつ蔵を壊したときに殆んど本だったらしく、自分の本好きのルーツはおじいさんだと知った。

驚いたのは交通事故の前にデットボールを受けていたのも、障害の原因だったらしい。
物凄く野球が好きだったそうだ。自分の野球好きのルーツをこれまた知った。

庭とか園芸は母方、本とか野球好きは父方。
両方のおじいさんの血の影響で毎日楽しい生活を送れている。

ヒイおじいさんの話題も。80歳超えてからもまさご座(ストリップ)に
通っていたそうだ!その辺りは遺伝していないと思うけど・・・

親戚や従兄弟と話していても、やっぱり1番かわいがってもらったみたいだ。
パジャマやジャージを着て一日中テレビを見ていた姿が印象的だが、
殆んど話すことは無かったけど、庭でテニスボールで野球をしたことを覚えている。

嫁さんも子供達も一度も合わせていない。
ひどい孫だ。

お葬式にはたくさんの方に来てもらったが、息子が植木屋だと初めて知ったらしい。
親戚のおじさんも軽トラのロゴをみて「いつの間に独立したんだ」と言っていたし。
家の庭で人で1番人気だったのは、桂やシマトネリコや竹のデッキでもなく、
ヒメシャガの薄紫の花。色んな人から名前を聞かれた。

明日から仕事復帰。
仕事といってもボランティアみたいなものだけど。
木曽三川公園で園芸教室の講師。

柳の枝で作るバスケットだが、今日はじめて作った。
相変わらずのいい加減。まあ、それなり?のモノにはなったかも。
新聞の記事にもちょこっと出ていたので、ちょっとヤバイかもしれない。

5月1日は創業3周年の記念日だったが、おじいさんの命日になってしまった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.05.05 23:51:27



© Rakuten Group, Inc.