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テーマ:塾の先生のページ(7643)
カテゴリ:教育
有森裕子さんへのインタビューのレジュメを破ったのは、彼女の講演の素晴らしさに対して、インタビューの内容があまりに普通過ぎる、正直に言えば陳腐な内容だったからだ。 小出監督の著書を読んでいると、一時期、練習に没頭する有森さんを見て、まさか思いつめて自殺してしまうんじゃないかと思い、スタッフによく彼女の様子を見ておくように指示を出したとの記述がある。そのくらい鬼気迫る思いで練習をしておられたのだろう。その日の講演はまさにそのような部分とリンクするような内容だったのである。すごい講演だった。 レジュメを破り捨てた私は、唖然としているスタッフの大学生の女の子たちに「今からインタビューの内容を作り直すので話しかけないで」と言った。 そのとき私が考えていたことは何かというと、「このままだと有森裕子に負ける」ということだったのである。 ゲストとしてお招きした有森裕子さんに、一介の塾講師が「負けてしまう」などということを考えていることが不遜極まりないが、聴いて下さっている方々の中には私の教え子やその親御さんがおられるのだ。 特に教え子の前ではたとえ相手が有森裕子さんであろうと、舞台の上で「ああ、kamiesu先生しょぼいな」と思われてはならない。有森さんのオーラを受け止め、同じとは言わぬまでも、見劣りせぬだけのものをこちらも発しなければならないと思っていたのである。 一部と二部の間はたしか10分くらいの間があったと思う。私はその間にインタビューの内容を書き換えた。破り捨てたのは、それがあると「迷い」が出てしまい、作り直す決断ができなかったからである。 講演の後のインタビューというのは、講演からの流れが生まれているものではならない。穏やかな講演ならば穏やかなインタビュー、楽しかった講演ならば、楽しいインタビューが原則であろう。 有森さんの講演は魂を込めて何かを伝えようとした講演だった。だからインタビューも魂を込めたものでなければならない。 私はインタビューの最後のところで、小出監督の前述の著書の記述のところに切り込んで、インタビューを行った。有森さんは私の言葉を受け止め、聴衆が受験生と受験生の親ということを踏まえた上でお話をしてくださった。本当に聡明な方だなと思いながら、壇上で私は有森さんの話を伺っていた。 インタビュアーが「勝とう」なんて思ってはいけないが、「負けて」しまってはインタビューは台無しである。終わって、壇から降りたとき、なんとかその大役は果たせたとは思える出来だったと思う。舞台下手で迎えてくれた大学生の女性スタッフたちの笑顔がその思いを深めてくれた。 先生というのは生徒にとって、尊敬できる存在、頼もしい存在、できたら「ヒーロー」でありたいと思っている。そのためには自分を磨き続けなければならないし、人間として向上していかなければならないと思う。 私はそんな立派な人間ではなく、毎日恥ずかしい思いをしているが、そうありたいと常に思っている。教師はしょぼいところは見せられぬ。教師は負けられないのである。 ちなみに会が終わって、高校生になった教え子の女の子の一人に印象を聞いてみると、ひとしきり誉めてくれた後、「でも先生、ジャケットは別のヤツの方がよかったと思う…」と言われてしまった。
飽くなき修業を続けよう。
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Last updated
November 18, 2006 10:18:40 AM
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