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テーマ:塾の先生のページ(7621)
カテゴリ:教育
昨日、知り合いの方に頼まれて、ある中1の女の子の勉強を見てあげた。 数学がまったくできなくて困っているとのこと。塾の先生は「文章題」ができませんと指摘はしてくれるが、一向にできるようにならないとお母様がこぼしてらした。 この方から最初のご相談のお電話があったとき、私はたまたま猫ギター先生と一緒にいて、先生は私の電話を横で聞いていらした。 私は電話でいくつかアドバイスをさせていただいたのであるが、電話を切った後、猫ギター先生からいくつかご指摘があって、なるほどと思ったので、再度かけなおし、追加のアドバイスをさせていただいた。よくよく考えるととても贅沢な学習カウンセリングであると思った。 昨日、実際本人の勉強する様子を観察させてもらって、いくつかのことに気づいた。 具体的にはここには書かないが、学習のつまづきの部分を指摘して、どのように学習を進めていくかのアドバイスを行った。問題集を指定し、そのやり方まで事細かに説明をした。全部で2時間くらいかかったかと思う。 私はその子が通っている塾の先生に猛烈に腹が立った。実はこの子は事情があって、しばらくの間、学校へ行くことができないでいる。だからよけいに勉強、特に数学が分からない。にもかかわらず、親に「文章題ができませんねえ」と指摘するだけで、どの部分がどうできてなくて、何をすればよいかということを具体的に説明していないのである。 30分でも一緒に勉強をしてやれば、どこで何ができていないかなどすぐに分かるはずだ。私は数学は専門ではないが、それでもすぐに分かった。その子の塾の先生はその30分を惜しんで観察をしてあげなかったか、付き合ってあげても何も見えない腕のない先生かのどちらかだ。 生徒の達成度をはかるときは、点数で見てはいけない。点数は大切であるが、課題の発見はいくには「答案」を見なければならない。しかし、もっとつぶさに見ていくには、その子が解答している様子を観察することが大切だ。 一瞬の筆記の「止まり」は様々なことを教えてくれる。消しゴムの使い方や、顔色、鉛筆を持っていない方の手の動きはその問題のその子にとっての難易度を教えてくれる。 「見ること」、そして「見つけてあげること」は教師の大切な仕事だと思う。もっともっとそれができる先生になりたい。
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Last updated
December 1, 2006 04:48:00 PM
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