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テーマ:塾の先生のページ(7621)
カテゴリ:教育
今日朝からHDDレコーダを設定しつつ、テレビに映る番組を見るとはなしに見ていると、ボーナスが上がったの、下がったのと様々な職種の人のインタビューをしている特集があった。 同じ職種でも上がった人、下がった人がいて、話は成果主義の是非、年功序列、終身雇用を固持する企業などの話があって、やがては学校の先生の話になった。 ある(おそらく公立の)学校の先生が108万円のボーナスの明細を見せ、最近持ち込まれた成果主義の影響で、各先生でボーナスに差が出てしまって職場の雰囲気がよくないといったことを仰っていた。 教育はチームで行っているので、個々の「成果」を測りにくい、ゆえに成果主義は馴染まないというのがその先生の主張のようだった。 話を聞いていて、物言いなどに、その先生の話の青臭さというか、未熟さみたいなものが匂ってきたので、嫌な感じがしていたのだけれど、最後にその先生が仰った言葉がとどめをさす。 「いや、私はこれでもボーナスは少ないと思っていますよ。一般の会社の人はお昼休みだといって一時間しっかり休んでおられる、まあ中には飯を食いながら仕事をしている人もいるんだろうけれど、私たちは昼食一つにしても教室で生徒と一緒に給食を食べて・・・そんなの休憩とは言えないわけですよ」 先生をやる人というのは、できたら生徒と一緒に食事をするのを厭わぬ人がやった方がいいと私は思う。息子がこんな先生に習ったら嫌だなあと思ってしまった。 飯を食っていても生徒が質問に来たら、食事を中断したり、次の授業があれば、一分ほど待たせて大急ぎでかきこんで解説したりするのが当たり前と思っていたので、とても違和感があった。 その先生はご自身のボーナスに不満があるようであるが、退職後の厚遇、その他はどうやら考えにはなさそうであったし、世の中のサラリーマンのほとんどがお昼休みをしっかりとっていると思っておられる感覚には「浮世離れ」感が溢れていた。 塾の先生というのは、週の内、生徒と会える日と時間が限られている。もっともっと生徒と接していたいと思っておられる塾の先生はとても多いだろう。 私は教え子と一緒に飯が食えることなんて幸せなことだと思うのに。私の考えの方が浮世離れしているのだろうか。
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Last updated
December 18, 2006 05:45:10 PM
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