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<山中氏ノーベル賞>「家族に感謝」一夜明け、夫妻で会見
毎日新聞によれば、京大・山中教授にノーベル賞が決まった。 「つらいときも家族が笑顔で迎えてくれた」。今年のノーベル医学生理学賞受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)は、一夜明けた9日午前、妻で医師の知佳(ちか)さん(50)とそろって京都市左京区の京都大で記者会見に臨んだ。「今後も研究を多くの人と協力してやっていく必要がある」と、改めて受賞の心境を語る一方、妻に感謝の言葉をささげる山中教授。研究に打ち込む厳しい表情とは異なり、夫としての、そして2人の娘の父親としての横顔を見せた。 山中教授夫妻はこの日午前9時半ごろ、京都大に到着。出迎えた研究所職員から花束を受け取った。その脇で、知佳さんがそっと寄り添った。 午前10時からの記者会見。山中教授は一夜明けての心境を「感謝と責任の二つの気持ちを強く持っている」としたうえで、「研究を完成させることは一人ではできない。今回賞をいただき、そのかじ取り、けん引役を任命されたと思っている」と語った。 知佳さんは、受賞の知らせが届いた時について、「夫が英語で『サンキュー、サンキュー』と言っていたので『大変なことになった』と娘と顔を見合わせました。しばらくしてから『良かったね』と(本人に)声をかけた」と振り返った。 知佳さんによると、山中教授は「家では普通の夫。休日は家族のために手伝ってくれる」という。山中教授は「失敗ばかりで泣きたくなるような二十数年。そんな時に家族が笑顔で迎えてくれた。妻も自分の仕事を中断してついてきてくれた」と話した。特に米国での生活について、「研究するか家にいるかの生活。子育てに携わり、子どもの笑顔を見ることが支えになった」と振り返った。 知佳さんは「忙しいときは声をかけるのもはばかられる。家族でどうサポートすればいいか分からないこともあった。重圧を感じていることを頻繁に感じている。外国とは時差もあり、夜中でもやりとりをしており、リラックスする時間が限られている。しっかり休んでほしい」とねぎらった。 そして、今回のノーベル賞受賞について、「たくさんの方に喜んでもらえることがうれしい。ありがとうございました」と声を詰まらせた。 ノーベル賞受賞決定を受けて山中教授が取材対応を終えたのは9日午前2時ごろだったという。「学生たちが研究所で待っていてくれた。喜ばせ、和ませようと思ったのか変装までして迎えてくれた。仲間に恵まれたことが今回の受賞につながった。米国の多くの仲間にも支えられた」。学生と研究仲間に対しても感謝の言葉を語った。 「これからも家族、友人に支えられながら、iPS細胞がノーベル賞にふさわしい仕事だと思われるよう頑張りたい」。山中教授は、そう力を込めた。 ▼「子どもの笑顔、支えでした」山中夫妻が会見 読売新聞ニュースによれば、ノーベル生理学・医学賞受賞が決まった、山中伸弥・京都大教授(50)は吉報から一夜明けた9日朝、妻で皮膚科医の知佳さん(50)とともに京都大本部(京都市左京区)を訪れ、夫妻はそろって記者会見に臨んだ。 この日未明まで取材が続いたこともあり、山中教授は少し疲れた表情だったが、「家族の支えがないと研究は続けてこられなかった。改めて、家族に対する感謝を強く感じています」と、隣に座った知佳さんをねぎらうように語った。 その言葉をかみしめるように下を向いてうなずいていた知佳さんは、「昨日、連絡を受けてからまだ、ぼうぜんとしています。こんなにたくさんの方に喜んでもらえることは本当にうれしい。ありがとうございました」と笑顔を見せた。山中教授は、中学・高校の同級生だった知佳さんが話す間はじっと目を閉じ、時折、笑みを浮かべた。 知佳さんによると、山中教授が8日に自宅でスウェーデンから受賞の知らせを受けたとき、知佳さんは布団にカバーを付けていたという。 電話で話す夫が「サンキュー」を繰り返すのを聞き、「大変なことになった」と娘と顔を見合わせ、しばらくしてからようやく、「よかったね」と声をかけられたという。「本当に(周りの)多くの方々に支えてもらったと、つくづく思う」と感謝の言葉を口にした。 山中教授はまた、医学生となった娘2人の役割にも触れ、「研究でいろんなことがあっても、家で子どもの笑顔を見ることが、ずっと私の支えでした」とかみしめるように語った。 ◇ 梅ちゃん先生も両手をあげて喜びそうなニュースでしたね。お父さんは医学部の教授。娘は医学生。今頃は梅ちゃん先生の家族で祝賀会をしているかも。 日本の若者には、夢を持ってほしいですね。挫折がなんだ。ラグビーのように前に突進しよう! (^-^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年10月09日 13時14分06秒
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