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2024.07.01
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カテゴリ:津軽八十八霊場
青森市街の中央にあるお寺、無量山 引接院 正覚寺。ここが二十二番札所になります。周囲には廣田神社や善知鳥神社などの古社、善知鳥山 安方院 一念寺や青森山 常光寺、廣布山 蓮華寺などの大寺院がひしめき合っています。

津軽八十八霊場二十二番札所:無量山 引接院 正覚寺

境内入口に当國観世音廿二番の石碑があります。これは津軽三十三観音霊場二十二番札所であることを示しています。



広い駐車場に車を停め、御堂へ向かいます。まっすぐに伸びた参道が目を引きます。近代的な御堂は学校としても使われていたとか。遠くですが無量山の扁額も見えます。



説明書きです。



無量山 正覚寺 浄土宗

旧寺町に立ち並ぶ四ヶ寺の中では、その創建が一番古い寺院である。善知鳥村が青森村と改名され、ようやく街ができ始めた頃の寛永3年(1626年)、時の開港奉行森山弥七郎が民心安定のため寺院設置の必要を津軽(二代)藩主信枚に願い出て建立されたという。
開山は、当時、弘前誓願寺末寺竜泉寺の住職であった龍呑上人である。寺名は、はじめ覚正寺であったが藩祖津軽為信の菩提寺革秀寺とまぎらわしいことから正覚寺と改められた。
本堂前の石灯籠一基は、宝暦11年(1761年)七代藩主津軽信寧が九代将軍徳川家重の追善供養のため江戸の増上寺へ献納したもので、戦後、当寺へ下付されたものである。
境内の菩薩堂も古くから津軽三十三観音霊場の二十二番札所として広く信仰をあつめている。
なお、明治6年(1873年)7月28日から開校された青森小学校の仮校舎は当寺で、教育発祥の地である。

津軽為信の菩提寺である津軽山革秀寺は、津軽八十八霊場の五十九番札所に指定されています。確かに音だけ見ると近いですよね。それで改名とは面白いですね(なにかしら圧力を感じますが・・・)。

御堂前に三体の仏像が並んでいました。右から如意輪観音、聖観音、普賢菩薩でしょうか?こちらは特に三十三観音や八十八霊場とは関係ないようです。



こちらにも古い札所石碑がありました。



これもそうでしょうか。



更に写経塔。



浄土宗開宗の法然上人像。



それでは施設内に入ってみます。玄関正面に社務所があり、左に行くと津軽三十三観音の札所本尊があります。津軽八十八霊場では札所本尊が、マイマップでは(おそらく津軽三十三観音の札所本尊と同じ)聖観音となっており、ガイドブック・御朱印では(本尊の)阿弥陀如来となっています。どちらが正しいか分からなかったので、一応どちらにもお参りしました。
社務所前にはお寺の沿革が書かれた年表が張ってありました。



こちらが津軽三十三観音の札所本尊:聖観音です。マイマップ上の札所本尊はこちら。



更に奥も見てみます。本尊の阿弥陀如来が座する祭壇左手には鬼子母神の像がありました。訶梨帝母(かりていも)などとも呼ばれるようです。サンスクリット語のहारीती(ハーリーティー)を漢訳したものでしょうか。
非常に人間味がある艶めかしい像でした。



こちらが本尊の阿弥陀如来です。ガイドブック上の札所本尊となります。ライトアップの加減で、本当に光り輝いているように見えました。当に無量光仏です。
御堂は非常に神秘的な空間でした。



御詠歌
そとがはま たてしちかいのみだのふね のりおくれなば いつかわたらん

本尊:阿弥陀如来 अमिताभ(ガイドブック上の札所本尊)、聖観音 आर्यावलोकितेश्वर(グーグルマイマップ上の札所本尊)

現在浄土宗開宗850年記念の限定御朱印がいただけます。上下に切り絵の装飾がついた非常に豪華なものです。こちらもあわせてどうぞスマイル



以前貰った御朱印です。



以上です。






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最終更新日  2024.07.01 21:27:52
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