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2024.07.02
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青森駅から少々歩いて、線路を越えて更に進むと広い境内が見えてきます。街中に広い境内を持つこの神社は久須志神社です。久須志=薬師ということで、医療に関する神格などを祀っているんだと思います。詳しく見てみましょうあっかんべー

久須志神社

まずは一の鳥居です。扁額が豪華な金縁です。良き哉・・・スマイル



手水舎です。この脇に様々な石碑や御神木があります。



御神木や石碑を守るために覆いが建てられています。津軽の冬は降雪がひどいですからね・・・。



神木の碑。隣の御神木を祀ったものでしょうか。



今でも青々と葉を茂らせる御神木です。青森の地名の由来は、海からでも青々と茂る木々が見える土地だったからといいますが、この辺りも昔は森林だったようです。この御神木は、その頃からここに根付いているんでしょうかねぇ。非常に力強いです。



薬師祖大神の石碑です。現在の御祭神は大國主神ですが、以前は薬師如来として祀られていたようです。その時の様子を今に伝えています。大國主神が因幡の白ウサギを癒した説話から薬師如来=大國主神と考えられたんでしょうか。少彦名神も薬神として名高いので、そちらと縁があってのことかもしれませんが・・・よくわかりません。



庚申塔と二十三夜の石碑もありました。



そして拝殿脇には龍神宮と稲荷宮が並んでいます。



拝殿よりも小さいですが、かなり力の入った装飾が施されています。



斜めから。何だかここもその内、津軽龍神霊場の札所になりそうな雰囲気です。



隣の稲荷宮です。社の両脇に狐の石碑が置いてあります。



正面から。



斜めから。この神社は注連縄が立派なんですよね、どこの社も。龍神宮と同様の素晴らしい装飾と朱塗りの美しさが特徴の社です。



では、いよいよ拝殿を見てみましょう。鳥居からまっすぐに伸びた参道を進んでいきます。



拝殿です。相当立派な注連縄ですよねスマイル大國主神を祀る神社ということがはっきり分かります。
この拝殿内にはかなり大きな神鏡が安置されていて、初めて見たときはびっくりしました。正面のガラス戸から見えるので、ご参拝時は見てみてください!



御立派!



本殿です。



説明書きです。



久須志神社

祭神
大名持命:国作の神、少彦名命:医薬の神

大名持命
大名持は其の功績をほめ称えた御名である。又オオナモチは地主・地震の名で土地の意味。即ち大地持の意味だとも云う。又大国主神とも云う。
この神は素戔嗚尊六世孫。書記本伝には素戔嗚尊の御子とも。この神、始め異母の兄弟八十神達のにくしみを受け、御母:刺国若媛命の計いにより、紀国大屋毘古神の許に逃れようとしてはたさず、根の国に至り、素戔嗚尊の劇しい試練に堪えて御女須勢理媛命と夫婦になり、尊の教に従いて生太刀・生弓矢を持ちて八十神達をば、或いは坂の御尾に追い伏せ河の瀬に追い拂い不逞の徒を平げて国内を定めて、是より国土経営の基に心をこらし給う。「即ち川を浚え溝を掘っては水利を通じ堤を築き丘を拓いては田畝を開きご苦労を遊ばされた」。
出雲の御穂﨑に海上漂着された神皇産霊神の子:少彦名命と兄弟となり、一緒に葦原中国の経営に尽され、其の外医薬禁厭の法を定めた。

少彦名命
少彦名命は身体が小さく、指の股より漏れ落ち給える故の御名という。
命は諸病を治す薬方を定め、人民の患を救い、日本国産の草木品々の物の薬毒を考え定め、薬法を製し萬病を治された。

由緒
久須志神社の草創は延宝5年(1678年)で、以前は薬師堂といわれて、古川村民の産神として崇敬されておりました。明治初年に神仏混淆廃止によって、薬師堂は仏であるというので久須志神社と改められました。昔境内には大きな木が繁った林でした。伝説では烏頭安方中納言(善知鳥神社の宗像三女神を勧請した人)が亡くなるとき「安方町から8、9町南西の方に葬るべし」との遺言によって、山の木林に葬られたとされている。そこには小さな祠があり、一本木又は二本木ともいわれていました。俗に山の木林といわれたところが現在の境内です。二本の老木があり、一本はイタヤの木で他は名の知れない木で、今残っている神木はその一本です。山の木林は昔から青森市の名を示すように青々と繁茂して、入港する船の目標ともなっていたと伝えられております。

青森の地名の由来となった場所なんですね!ここには菅江真澄も訪れており、善知鳥神社を見てからこちらに向かった様です。青森の地名の基はここだと言っています。
烏頭安方の眠る地ともされ、残された御神木がかつての木林の名残りです。林の中にこんな社があったら何度でもお参りしちゃいますねスマイル

斜めから。



今回貰った御朱印です。



以上です。






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最終更新日  2024.07.02 21:33:13
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