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2009.11.26
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 バンクーバー五輪の女子カーリング日本代表に決まった「チーム青森」。先週決勝が行われたパシフィック選手権では、中国に次いで準優勝という成績を残した。



 選手5人の中に、青森県の出身者は一人もいない。それなのに、どうしてチーム青森なのか。



 青森県にカーリングが入ったのは約25年前。最初に本格導入したと言われる北海道から遅れること約5年で、当初はスケート場を併用していたため、刃で氷が削られて、ストーンが真っすぐ滑らなかった。



 専用競技場の建設を検討し始めた青森県カーリング協会に追い風が吹いたのは、1990年代後半になってから。2003年に青森で開かれることになった冬季アジア大会の正式競技に、カーリングが加わった。



 多くのトップ選手を生んで「聖地」と呼ばれる北海道の旧常呂町(現北見市)や、98年長野五輪の会場となった長野県軽井沢町など、日本では小さな町でしかカーリング大会の開催実績がなかったため、世界カーリング連盟は「30万都市の青森は日本での普及拠点になる」と注目。設計段階から全面的に協力して、02年、青森市スポーツ会館が完成した。ちなみに今回の代表決定戦もここで行われている。



 同時に、自治体や企業によるサポートも始まった。



 02年のソルトレーク五輪後、地元の常呂町で就職先がなかった小野寺歩選手らを、カーリング指導の嘱託職員として青森市文化スポーツ振興公社が招いたのが「チーム青森」の起こり。こうした中、目黒萌絵選手や本橋麻里選手のように、北海道から青森の大学や短大に進む選手も出始め、前回のトリノ五輪に初代「チーム青森」が出場した。



 バンクーバーの代表になった現在のチームをみても、東奥日報社に勤める山浦麻葉(まよ)選手は長野県出身、ほかの4人は北海道出身で、目黒選手はみちのく銀行、近江谷杏菜選手は青森市役所、石崎琴美選手は青森市の学校法人・木浪学園に勤務。日体大に通う本橋選手を除く4人が、青森県内の企業に就職してバックアップを受けている。



 「進学するにしても就職するにしても、地元の常呂には(カーリングを優先できる)環境がなかった」と近江谷選手。世界規格の専用競技場があり、理解ある職場も提供される環境は、選手にとって大きな魅力だ。



 青森県カーリング協会の対馬忠雄会長は「世界に通用するカーリング場がチーム青森を作った。そういう意味ではメード・イン青森のチーム」と胸を張る。一方で、地元のジュニア選手育成にも力を入れており、「いずれは青森出身者もメンバーに入れるようになれば」と夢を膨らませる。(若水浩)

※この記事の著作権は、ヤフー株式会社または読売新聞に帰属します。

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Last updated  2009.11.26 10:10:39
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