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2月24日の午前中に四国は愛媛県の三崎港に上陸。「高山メンヒル」と「神南山」の東西関係を確認し、次に向かったのは縄文時代草創期の遺跡として知られる久万高原町の「上黒岩 岩陰遺跡」であった。 この遺跡は高さ約30メートルの石灰岩が露出した岩陰にあり、これまでの発掘調査によって今から1万4~5千年前の縄文時代草創期から縄文時代後期までの1万年近くにわたって人が住んでいたことが判明している。 延々と1万年近くにわたって居住していたという点で、この「上黒岩 岩陰遺跡」は長崎県佐世保市の「福井洞窟遺跡」と並んで貴重な縄文岩陰遺跡とされているそうだ。 その福井洞窟遺跡には昨年6月に訪れているので、国内で居住年数の最も長いとされる代表的な2つの生活空間の現場に行かせていただいたことになる。 ◎関連記事・・・「福井洞窟遺跡」について そこで上の画像は、冒頭画像に映る岩壁の付根となる青い屋根の建物に囲まれた中の、連続的に1万年もの使用に耐えた居住空間を撮影したものである。 この岩陰遺跡は標高約400mの高台にあって、石灰岩質からなる岩壁下の西南方位に開いている。ということから居住地の岩陰は、たとえ極寒の冬場でも、沈む夕日の陽光を浴びる場所にあるので、日が沈んだ後でも温もりをしばらくは保ったであろうことから、住み良い環境だったのではないかと感じられた。 下の画像は遺跡のある岩壁の西側を登り、その西南壁の露出した断崖を撮影したものである。そこで心中に浮かんできたのは・・・よく晴れた寒い時期に、この壁面の前で皆で西日を浴びて暖を取っている・・・あるいは特別な時期に、そこで歌舞に興じて呪術祭祀を行っている・・・古代人の姿であった。 この遺跡に隣接して「上黒岩遺跡考古館」があるのだが、残念ながら毎年4月1日からの開館ということで当日は館内の展示物を拝観することができなかった。 だからというわけでもないが、たまたま翌2月25日に「愛媛県歴史文化博物館」(西予市宇和町)を見学する機会があったので、その際に当遺跡から発見された出土物が展示されたコーナーに掲載された解説版等を映した画像の数々が以下である。 当博物館の歴史展示室では当遺跡が筆頭に挙げられ、出土した文化財の数々も分かりやすく展示されており、加えて愛媛県の歴史をはじめ民俗文化に関しても、他県では見られないような広い空間での演出が工夫されていたことが印象的であった。 この遺跡では掲載画像の「線刻礫」を代表として、同様の女性をモチーフとした岩偶(線刻礫)が全部で11個も見つかっているとのことだ。使途は不明ということだが、安産を願う母神像とする説が唱えられているそうである。 この「ヴィーナス像」とも称される女神像線刻礫は、鋭利な剥片石器を用いて女性像を礫に描いたもので、信仰の対象だった可能性が指摘されている。 この種の像が出土したのは日本では上黒岩岩陰遺跡が初めてで、また同じ地層からは約1万2千年前の、発見当時としては世界最古級の土器も出土したとのことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年03月03日 18時55分34秒
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