劇「移項」
「僕はお前が憎い!」「小僧・・・貴様自分が何を言っているのか分かっているのか?」「ああ、分かっているとも! 何故、お前のようなやつがこの世界に存在している!?」「それは我輩の存在を望み、有難がる人間がいるからだ!」「くっ! お前のせいでどれだけの人間が犠牲になったか分かっているのか?」「笑止! 我輩はただ使われるのみ。使った人間の責任まで取れんよ」「言うな! お前の存在自体が悪なのだ!」「何をもって我輩を悪と呼ぶのか! 我輩は他者に望まれたからこそ存在しているのだ。貴様如きの関知するところではない。」「ふざけるな! 僕はお前の見せかけに騙されはしないぞ! いつかお前を滅ぼしてやるからな!」「ふふん。だったらやってみるがいい。出来るものならな! は~はっはっはっはっはっはっは・・・ごほっごへっがは・・・おぇ」「笑いすぎ・・・」・・・とまぁ今回は雰囲気を変えて舞台風に語ってみようかと思ったのですが疲れたのでこの辺でやめます(笑)でもこのままじゃ何の話だかさっぱり分からないと思うので仕切りなおし。中学生に数学を教える上で、僕がもっとも厄介だと感じるのが「等式の性質」だ。例えば4x+5=49のように両辺から5を引くと、 4x=49-5 4x=44さらに両辺をで4割ると x=11となる。このように等式の性質を利用して解く際に、学校では移項というやり方を教える。「左辺にある項を右辺に移すと、符号が逆になります。右辺から左辺も同じです。これを移項とよびます」教科書にはこんな感じで載っている。僕はこの移項が本当に嫌いだ。上に書いたことは実は冗談でも何でもなく、大真面目だったりする。僕はこの「移項」を純粋な中学生が数学でつまづいてしまう悪の権現だと思っている。僕自身、これが全く分からなかったため中学のテストでとんでもない点を取ってしまったことがある。数学で高得点を取っていた友達に聞いても「だからこれを移項するから符号が逆になってね」と言うだけで何の解決にもならなかった。「だから~分かんないのはそこなんだよ。移項した時に何で符合が逆になるのかが分からないんだって」そう言って彼の説明に納得しなかった僕の顔をバカじゃないのという目で見ていた。あの目を今でもはっきりと覚えている。・・・多分、当時の彼もやり方を教わったから解けているだけで、絶対に等式の性質を理解していなかったと思う。とにかく、僕もそうだったからこそ良く分かるのだけどこういう問題で符号をよく間違える子はほぼ間違いなく等式の性質を理解出来ていない。項を移動させる時には符号を逆にする。その程度の認識しかない。そもそも移項という表現自体がおかしいのだ。項が移ると書いて「移項」だが、上の4x+5=49を見ても分かる通り別に左辺にあった項が右辺に移るわけではない。結果としてそのように見えるだけで左辺に最初からあった5と、右辺に出現した-5は完全に別物だ。つまり移項と言いつつ、項は移動していない。これって嘘じゃないか。でもインパクトは抜群だ。しかも簡単。だが、このやり方でしか出せない子は1/4x=20のような分数の混ざった方程式に遭遇すると掛ければいいのか割ればいいのか分からなくなって、混乱してしまう。きちんと等式の性質を理解して左辺をxにするために両辺に4を掛ければ良いということを知っていればこんな問題はすぐに解けるというのに。・・・たしかに移項を使えば単純に答えまで辿り着く。だから裏技としてそういうやり方もあると教えることは良いと思う。しかし、それを教科書に載せるのは絶対に間違っている。移項は方法などではなく、ただの結果に過ぎない。「結果がこうなるからそれを解く」なんて愚の骨頂だ。そして便利な移項だけ覚えて解いている生徒に等式の性質を正しく理解させるのは本当に骨が折れる。そういう生徒は「こっちの方(移項)が楽でいいよ」と言う。・・・違うんだよ。それで楽なのは中学生までなんだよ。高校生やそれ以上になったら通用しないんだよ。「じゃあ高校生になってからでいい」・・・うう。そういうわけで僕は「移項」を憎んでいる。いつか絶対滅ぼしてやるからな!