ヘテロであること
世の中、グローバル化が進行している。そのグローバル化のおかげで、文化がどんどん絶滅していっている。さまざまな文化が融合し、そこから新たなものが生み出されているという面もないことはないのだが、どちらかというとどこでも大差がない均一な世界に向かいつつある。それに対する抵抗も激化している。政策としてナショナリズムの高揚を大きな目標にしている国も多く見かけられる。情報についていうと、多くの人が知っている情報(ブランド)が少数の人が知っている希少な情報よりも価値があると考えることもマーケティング的にはおおむね正しいだろう。今、ヘテロというと、『格差』が連想されてしまう。格差が利益を生み出す。これは正しい。それはヘテロな関係だからである。もともと貿易も地域同士のものの価値の格差を利用することで成り立っている。しかし、貿易の場合は双方に利益がないと成立しない。今は貿易も『格差』を利用して強いものが得をして弱い者が損をするという構図になってきている。ヘテロであることは必要なのだけれども、それが『格差』であってはならないというのがおれの言いたいことなのだ。文化、個人の個性、地域の特性など、そういうものがヘテロ結合することによって大きなエネルギーが放出される。そういうヘテロな世界を目指していかなければ、結局はヘテロなのは『格差』だけという世界になってしまうのだ。上に書いてある。ナショナリズムはどちらかというとグローバル化の国家単位のものにすぎない。個人の個性や対立する民族主義や宗教などを国家単位でグローバル化したものにすぎないのだ。だから、おれはナショナリズムは断固拒否する。大嫌いだ。言いたいことがまとまらないので今日はここまでにする。似たようなことは前にも書いたことがあるし、これからも書くだろう。そのためのアイデア帳的な記事だ。なぜ格差社会になってしまったのかはいくつかの観点から説明ができる。最も有力なのは、格差がないと強いものが儲からないからなのだ。ヘテロな個性が発揮されることで活力のある世の中になることを望んでいる。言いたいことは山ほどあるので、関連した記事は書くことが必ずあると思う。本・読書ランキングです↓押してくれ!こっちはアクセス解析です。おれの買い物--本のリンク書く予定