白子(タケノコ)
ーーーー白子(タケノコ)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今朝の気温が3℃。6時45分竹林に入る。薄暗く目が慣れない。100mの間を3往復。少しずつ目が慣れて、ついに見つけた白子。白子(陽に当たっていない地表に出る前のタケノコ)[上が白子、色が白い/頭が地表に出た普通のタケノコ][根元が特に甘く、甘味の少ない梨のような味]果たして、1時間30分で中、小で10数本。まずはめでたし、めでたし。ーーーーバックパッカーno.48/男も愛嬌ーーーーーーーーーーー11月9日Napoli YH日記には、See Naples and then die. ナポリの夜景はそれほど素晴らしい、 と云われているが、残念ながらボクたちはそれを見ていない。YHは時期もあって、宿泊客はボクたち2人とアラブ系の若者の計3人。 実は彼とは挨拶程度しかしなかった。 この時は、彼がエジプトの旅の恩人になるとは 夢にも思わなかった。 これもTaraと旅をしていたおかげかも。11月10日Napoli YHPompei日記には、1日ポンペイの遺跡を見て回る。これほどの遺跡が地中に眠っていたなんて奇跡だ。円形大劇場の舞台に立って手を打てば、パーンと響く。素晴らしい音響効果だ。人もあまりいなくて、のんびりと見学。 この劇場は2万人収容できる。 ちなみにローマのコロッセオは5万人。 あの当時は今ほど整備もされていなかった。 ポンペイ(Wikipedia) ポンペイ考古学公園(Google map) ポンペイ遺跡ガイド(日本語版/スマートフォン版) (ポンペイ文化保護局) 興味のある方は、 ぜひ、ポンペイ遺跡ガイドを見てください。11月11日 RomeYH 11月12日BernYH日記には 彼女がスウェーデンの親戚の家に行くというので、ボクは日にち調整もあり2人でスイス・ベルンへ旅をする。最後の夜、午後10時の門限を忘れて散歩する。走って走って門限ギリギリセーフ。 再度の掲載ですが視点を変えて、 下の写真はYHの横を流れるアーレ川、 左上にかすかに見えるアーチ橋は キルヒェンフェルト橋(Kirchenfeldbrucke)。 美しい2連のアーチ橋です。 翌日、ロッカーの鍵を返すのを忘れてしまった。 帰国後、送ろうかと思ったけど、 記念として手元に置いておくことにした。 もうすっかり錆びてますね。 日記には駅で日本人旅行者のブンキチ君に出会う。3人でホームで立ち話。Romeまで同行する。彼は北海道教育大学・函館校を休学中。 このブンキチ君とは思わぬところで再会する。Taraに見送られてRomeへ。列車の中で彼が、いいなー、別れ際に抱き合ってキスをするなんて。 今は「hug」という言葉が一般的だが。いっしょに旅をしたんですか?そう、約1ヶ月。いいですね・・・、いいですね・・・。 これがボクたち日本人が欧米人に対する率直な思い。 立場が逆でも同じことを思ったろう。 でも、旅を一緒にして初めてわかることもある。 旅をしなければ、わからないこともある。 Taraとよく唄った歌を思い出す。 子供用の輪唱歌だが、それなりに意味深い。 Row, row, row your boat, Gently down the stream, Merrily, merrily, merrily, merrily, Life is but a dream. 彼女との出会いと別れは、 まさにこの歌のようだった。11月13日Rome YH エルーフランス・ローマ支店に行くと、航空便が再開という。 ただし、エジプト航空のみ。 希望するなら代替え便として手配するというので、 14日の夜の便をとった。日記には、ビザ取得にエジプト大使館に行く。入国に際して供託金をエジプト国立銀行に送金するようにと、大使館で云われ「Banco di Roma」から送金する。なんと45,000リラ(約2万円/85$)もの大金。10日後にカイロで受け取れると云う。 今、エジプトのビザを調べてみれば1ヶ月のビザで、 費用は25$。 2015年から個人の旅行者は空港到着時には取れないので、 事前にとる必要がある、となっている。 もしかして、ボクの聞き間違いかと思い調べてみたら、 今でもビザ取得が25$なので、 あの当時ビザ取得のために85$は考えられない。 やはり、今でも供託金と確信しているが、 これが思うようにいかなかった。11月14日Romeいよいよエジプトに入れるが、夜の飛行便でカイロには夜9時過ぎの到着。夜の便で不安が募る。 戦時下だし、情報もないし、出たとこ勝負だが、 出発ロビーでカイロ到着後に、 どうしてYHまで行くか思いを巡らしていた。 そこに思いがけない人物が声をかけて来た。つづく。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー