Tano1987
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ーーーー安物はいかんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この冬、ダウンが入った寝袋をもらった。 自室に暖房がないので、これに入って机に向かっている。 40年使った寝袋と比しても暖かい。 ただ問題が1つある。 羽毛が出て来るのだ。 毎日毎日数本ずつ。 ひょっとしたら、吸い込んでいるのでは心配になる。 やはり、安物はいかん、かな・・・。 ーーーーバックパッカーno.39/男も愛嬌ーーーーーーーーーーーー 1973年 9月24日 Madrid YH 日本人の先客が4,5人いる。 そこにボスがいた。 彼は英語もスペイン語も話せないが、 もう2,3年ヨーロツパを旅しているという。 ツワモノだ。 もうスペインも長いという。 旅の目的もなく、完全にボケている。 ヨーロッパを浮遊する3人目のごっつい、 完全に脳みそがぺしゃんこに潰れたお兄ちゃんだ。 日本語で十分だというが、 実際はちょっとスペイン語を話していた。 彼を中心に日本部屋は成り立っていた。 夕食後、皆で映画を観に行く。 ラブシーンもどきになると、ヤイヤの喝采。 ヨーロッパの中でもフランコ軍政下で、 民主化が遅れていて、本格的(?)ラブシーンはご法度。 あの当時のスペインはヨーロッパにあって、 ヨーロッパではなかった。 9月25日 Madrid YH 何をするでもなくYHで過ごす。 昼過ぎに彼が、行くぞー、号令をかける。 どこに行くのかと尋ねれけば、 血を売りに行くという。 ぶったまげた。 売血制度は日本でも1964年位まであった。 スペインでは1985年に廃止になっている。 今、考えれば売血はしないとしても、 どんなところか「何でも見てやろう」の精神で、 ついて行っても良かったが、そん心の余裕もなかったのだろう。 ただただ、こいつらは何を考えているんだろう、と。 夕方に皆が帰ってきて、今日はお金が入ったので、 食べに行くというので、皆について行く。 帰り道、夜の道で等間隔に恋人たちが語らっている。 皆が彼らを冷やかすが、手慣れたものだ。 9月26日 Madrid YH 26日は何をしていたのか・・・。 早くここを出た方が良いと、 27日にMadridを出ることを決める。 9月27日 夜行までの時間、1日を市内観光。 記述も記憶もないが、どこを見て回ったのか。 20:45分発の夜行列車でTarragonaに行く。 Barcelonaを目指す。 座敷指定で別途145ペソも払っている。 もったいない。 1973年 9月28日〜30日 Barcelona Tarragonaから乗り継いでBarcelonaに入る。 Pensionに宿をとる。 なぜYHを利用しなかったのか記述がない。 格安の部屋を案内される。 Pensionの屋上の一角に追加で建てられた部屋。 階下にはアメリカの若い女性がたくさんいる。 9月29日 この街はヨーロッパ。 パメセロナ観光。 サグラダ・ファミリア(教会) 圧倒される。 完成まであと150年、気の長い話だ。 その後寄付が集まり早くなった ボクたちには真似ができない。 ピカソ美術館 「青の時代」。 全体的に重苦しい。 ローマ遺跡・バルセロナ(Youtube) 地中海は古代ローマの影響を強く受けている。 今ほど整備されていなくて簡素だった。 バルセロナでもアメリカ兵がウジャウジャ。 3人の水平がからんで来る。 どこでもアメリカ人がウジャウジャ。 彼らの「力」には恐れ入る。 陸に海に空に、まさにアメリカの天下。 しかし、いつかはあのニューヨークの摩天楼も、 ポンペイのように・・・・。 (小難しいことをだらだら書いているので止めよう) 9月30日 水(?)にあたる。 泊まった部屋が悪かったのか…。 梅肉エキスを舐めて1日過ごす。 初めての肉体的トラブルだ。 のんびりとできる田舎YHを目指す。 つづく。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー