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おじん0523のヒロ散歩

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2019.02.05
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カテゴリ:東海道53次
箱根峠から三島宿への西坂を下る

12/18(火) 10:18
箱根峠の西側にある「箱根旧街道」入口


新箱根八里記念碑(峠の地蔵)
その昔、東海道を旅する人の目安になったのが一里塚。時は移り、現在、箱根旧街道
を散策する人々にとって旅のひとときの憩いになればと、1985年に(社)三島青年会議
所の働きかけで設置されたのが「箱根八里記念碑」。
そして2003年、国交省静岡国道事務所・三島市・函南町の協力により、新たに8人の
女性による揮毫を得て、ここに新石碑が誕生した。地球に見立てられ盛り上げられた
地表に、さまざまな様相さまざまな方向を見つけて立っている地蔵たち。
これらの地蔵は未来への道標となろう言葉を抱えていて、まさに現在の一里塚といえ
るものです


8人の女性とは(順不同) 
  ①穐吉敏子  ②黒柳徹子  ③桜井よしこ  ④杉本苑子  ⑤橋田寿賀子
  ⑥橋本聖子  ⑦宮城まり子 ⑧向井千秋


手前左は、橋本聖子「細心大胆」


10:24
静岡県へようこそ


箱根峠にある「箱根エコパーキング」


箱根エコパーキング近くは、函南町桑原、日本橋から103km


10:28
小休憩後、旧東海道(山中城跡方面)の石畳


この辺りは道標が明確である


10:33
箱根旧街道「茨ヶ平(バラガダイラ)」
道路標識には、箱根関所跡 3km、三島宿 11km
石柱には「是より江戸二十五里」


箱根旧街道「茨ヶ平(バラガダイラ)」
この東海道のうち最大の難所は、小田原宿と三島宿を結ぶ、標高845mの箱根峠を
越える箱根八里(約32km)の区間であり、箱根旧街道とよばれる。
ローム層の土で大変滑りやすい道の為、最初は箱根竹の束を敷いたが延宝8年(1680)
に、幅二間(約3.6m)の石畳に改修された。
その他街道整備として風雪をしのぐための並木敷や、道のりを一里ごとに示す一里塚
がつくられた。
参勤交代や伊勢参りなど、江戸時代の旅が一般的になるとともに賑わった旧街道も、
明治22年(1889)東海道線の開通や、大正12年(1923)、国道一号線の敷設によって
衰退した。この辺りは、い茨(バラ)が生い茂っているので付近の草原を茨ヶ平という


箱根竹のトンネルを下る


10:34
左方向:箱根八里記念碑(井上 靖)、直進:接待茶屋・山中城跡


この石碑は「???」


箱根峠ごえ道中(箱根・西坂ゾーン)案内板


この奥に「箱根八里記念碑」


箱根八里記念碑


石碑には、作家 井上 靖「北斗闌干」


10:38
箱根竹が生い茂る


石畳を下る


10:41
ひたすら下っていく


誰とも会わず、一人道中


10:47
下ってきた道を振り返る


10:48
国道一号線に合流する


10:50
東海バスのバス停留所「接待茶屋」


路面の標識


国道一号線の下り線側にある「接待茶屋跡」


接待茶屋
箱根の山越えは大変な難所だったため、江戸時代中期に箱根山金剛院の別当如実が
箱根を往来する人馬の苦難を救うため、湯茶・粥・飼葉を無料で与えた。しかし資金
が続かず行き詰まり、如実は江戸呉服町の豪商・加勢屋与兵衛の協力を得て、幕府に
継続を願い出た。その後、加勢屋は東坂の割石坂に、西坂のこの地に接待茶屋を設置
したという


10:52
国道一号線からそれて旧東海道へ入る


入口にある案内板、左側に一里塚がある


函南町内では、石割坂地区(函南町桑原)に石畳が600mほど連続して、良好に残って
いる。これは文久元年(1861)皇女和宮が、第14代将軍徳川家茂のもとへ降嫁するに
際し、大改修が行われた時のものだといわれていると


徳川有徳(ユウトク)公遺跡碑
この碑は、山中一里塚のすぐ近くにあり、兜石や明治天皇御小休趾(オコヤスミアト)の碑とと
もに建っている。徳川有徳(八代将軍吉宗公)は、紀州公から将軍になるために江戸へ
向かう途中、石割坂にあった茶店で休憩をとった。
その間に、店の主人が馬の世話をよくしたところ、吉宗はその心遣いに大層喜び、自
ら永楽銭を与えた。以降、代々の紀州公は、参勤交代の際にはこの茶店で休み、永楽
銭で支払うようになったと。またその頃から、この茶店を「永楽茶屋」と呼ぶように。
これを記念して、当地の観光開発に尽くした鈴木源内が、昭和10年に建てたのがこの
碑である


兜石(カブトイシ)
この名の由来は、兜を伏せたような形をしていることからかぶと石といいわれている。
また別の説として傍の碑銘によれば豊臣秀吉が小田原征伐のとき休息した際、兜をこ
の石の上に置いたことが理由であるともいわれている


兜石(カブトイシ)
この石は兜石坂にあったものを昭和初め国道一号線の拡幅工事のときこの地に移した
ものであると


10:53
右は、三島市眺望地点へ


10:56
右は三島宿への石割坂、左側の竹林の中には


明治天皇御小休趾(オコヤスミアト)の碑


10:58
ふれあいの森記念碑


11:01
石畳(石原坂)


11:03
念仏石(ネンブツイシ)


念仏石
ここに突き出ている大きな石を、土地の人は念仏石と呼ぶ。この念仏石の前に「南無
阿弥陀仏・宗閑寺」と刻んだ碑があるが、旅の行き倒れを宗閑寺で供養して、碑を建
てたものと思われる


11:08
下り・山中城跡:1.3km、上り・接待茶屋:0.9km、箱根峠:2.2km


少し疲れた案内板だが、下り方向の名所案内


11:09
大枯木坂・山中城跡へ、上り:石原坂・箱根峠


杉林の中の石畳


11:11
東海道400年祭「箱根西坂森づくり広葉樹植林地」


広葉樹の植林


西坂を下る


11:14
尾根伝いの旧街道から国道一号線へ、江戸まで110km



                                ​三島宿へ(2/8)

                                三島宿へ続く





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最終更新日  2019.02.05 06:00:15
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