|
カテゴリ:東海道53次
旅友の弥次さんから1月28日(月)は天気が良いとのことで、東海道53次の「原宿から
吉原宿・富士市のJR冨士駅」を目指して歩いた。 茅ヶ崎駅からの日の出前 (6:29) 乗車前にコンビニでおにぎりを購入、電車賃はまだ1,320円と手ごろである。 6:44発の沼津行き電車に乗車 沼津駅で浜松行きの電車に乗り替え、原駅前の車中からの富士山 (8:19) 今日は弥次喜多道中しながら富士が見えるようだ、吉原での左富士も期待大! JR原駅前からの富士 (8:21) 原宿は江戸から13番目の宿。 原宿の「原」の地名は、この地の山側にあった浮島沼を中心とした広大な湿地帯だっ た浮島ヶ原に由来する。その浮島ヶ原と海岸に挟まれた一本道にある宿場。 高波の被害で慶長14年(1609)に現在の地に移転。原は特に産業もなく、住民は浮島ヶ 原から海へ放水路を開削し新田開発に努めた。植田新田、助兵衛(スケベエ)新田、一本松 新田なその名が残る。天保9年(1838)、と天保13年の大火で脇本陣・旅籠の多くが焼 失。以後再建されなかった 原駅近郊の案内板。 原は臨済宗中興の祖といわれた白隠禅師が生まれ没した地なので「駿河には過ぎたる ものが二つある。富士のお山と原の白隠」と謳われた。雄大な富士山が眺められる地 としても人気があった 原駅前からの富士山 江戸時代の名物は浮島沼で獲れる鰻の蒲焼。特に原と吉原の間にあった「間の宿 柏原」 の鰻はよく知られていた ズームアップするが雪が少ない 秋葉大権現 (8:31) 旧東海道から海側の路地にある民家に隣接した小さな神社 旧東海道(県道163号線)から海側にある、浅間神社へ (8:36) 所在地:静岡県沼津市原560 浅間神社、第一鳥居 第一鳥居 由来記 JR東海道線三島行き電車 (8:38) 本殿前の鳥居 浅間神社本殿 県道380号線沿いにある、沼津市立原中学校校門? (8:43) 駿河湾の護岸へ (8:46) 伊豆半島 護岸からの富士山 ズームアップ 田子の浦、富士方面 台風津波対策で高い護岸となっている (8:49) 県道380号線沿いの松林の中にある「いぼ神様」 (8:53) 古来より、このお社のうしろにあった巨松の盤根の間にくぼみがあり、つねに水がた まっていた。「いぼ」のできた人が、この水をいぼにぬり祈願すると、いぼがよく落 ちるので、いぼ神様といわれ広く(原町誌より)信仰されている 東海道原宿 一里塚 (9:00) 江戸時代に築かれた日本橋から32里目の説明 街道をはさんで両側にあったと思われるが、現在は宅地化されてその面影はない 一本松史跡 町あるきマップ 所要時間1~2時間 ぬまづ げすいマンホール 浅間神社 (9:12) 所在地:静岡県沼津市一本松561 慶安3年(1650)創建、明治8年2月村社に列せられる。境内西側の末社には、三扉の神 があり、櫛摩知命、大己貴命、少名彦名命が祭られている。又、境内入り口東側には 天王社(素戔鳴男命)が祭られている 一本松浅間神社 曹洞宗海岸山 大通寺 (9:18) 所在地:静岡県沼津市一本松62 紹外舜隆和尚(シュウガイシュンリュウオショウ)を招いて開山した寺。幕末に徳川の藩士が開いた寺 小屋は、明治6年に初学舎と命名。スルガ銀行初代頭取、岡野喜太郎氏も学び、境内に は碑が建てられている 大通寺山門 大通寺本堂 鐘楼と忠霊塔 寺小屋があった場所なので境内にはありがたいお言葉がたくさんあると 境内から鐘楼、山門 境内の隅に五百羅漢 囲碁の盤を前に考える像 浅間愛鷹神社 (9:28) 所在地:静岡県沼津市桃里508 浅間愛鷹神社 延享2年(1745)の創建で、元和元年(1615)に鈴木助兵衛父子により当地の開拓が始ま ってから、130年後である。神社の建造物は何回も改築されている。今のは昭和44年 に建てられたものである 境内社としては、山神社と天王社とがある。当地区内には、別に桜地蔵尊と稲荷神社 とがある 旧東海道(県道163号線)からの富士山 (9:36) JR東海道線の南側に「桃里の桜地蔵尊」 (9:38) 踏切は70m後戻りして右折してくださいと 桃里の桜地蔵尊:これより弊社敷地につき、通行できません。お近くの踏切を・・と 沼津市花いっぱいコンクールで「市長賞(モデル花壇)」受賞 JR東海道線の下り電車 旧東海道(県道163号線)の植田踏切を渡り (9:43) 原宿から富士-続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[東海道53次] カテゴリの最新記事
|