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カテゴリ:東海道53次
蓬莱橋の「蓬莱橋897.4茶屋(ヤクナシチャヤ)」で休憩後、島田宿本陣へ。
3/27(水) 11:30 蓬莱橋897.4茶屋からの蓬莱橋。 店名の「897.4」は、蓬莱橋の長さが「897.4m」であり、「厄なし」と厄払いのご 利益スポットになっていることに由来する 江戸時代の大井川川越風景 茶屋で「抹茶ソフトクリーム」を食べる。 弥次さんの自宅そばにある横浜薬科大学との共同開発 店内の黒板にはメニュー 描くのは専門家だと 観光案内 河川敷に咲く花桃 茶屋の裏に建設中のモニュメント 記念碑のイメージ 大井川は、明治15年(1882)国の直轄河川として改修工事が開始され、平成4年(1992) で110周年を迎え記念としてここに碑を建立した。 中心の柱は大井川を表し、その柱をとりまく輪はそこに暮らす人々の街をイメージし ています。上に伸びる川と斜の輪には川と人と街の安全と調和の土台になっているの は堤防であるという事を表現している。輪と柱をつないでいるパイプを9本使用するこ とで、大井川周辺に位置する3市6町を表し、パイプとパイプの空間は、大井川周辺各 市町の面積比で表現している。 碑の高さは、河口までの流路延長160kmの約10万分の1、円の面積は周辺市町の行政 面積149.809haのおよそ1千万分の1に表現されている 蓬莱橋を望む 11:55 昼時だったが時間がないので 先を急ぐことにして、旧東海道へ戻る 民家の玄関先、来年はわが家でも植えたいものだが 12:04 JR東海道本線の「第一相良街道踏切」 12:08 旧東海道(県道34号線)本通りへ戻る 江戸時代の島田宿 一、島田宿の成立 慶長6年(1601) 徳川家康により、東海道の「伝馬駅」として指定される。 慶長9年(1604)頃 大井川の大洪水で宿駅施設はすべて押し流され、北の「元島 田」で仮に継立てを行った。 元和元年(1615) 元の島田宿に戻り復興した。 一、宿内家並東西長さ 九町四十間(約1.1km)。 一、宿内人口(天保14年・1843) 6727人 内 男:3400人 女:3327人 当時の静岡県内では、府中に次いで人口が多かった。 一、宿内総家数(天保14年・1843) 1461軒 12:09 島田宿一里塚の石柱 島田宿一里塚は、天和年間(1681~1684)に描かれた最古の「東海道絵図」の中で、 江戸から五十里と記され、北側の塚しか描かれていません。幕末の文献「島田宿並井 両裏通家別取調帳」では巾五間二尺で北側のみ、塚の上には榎が植えられていたこと が記されている 12:10 反対側の歩道沿いに「甘露の井戸水」ご自由にどうぞと 12:12 旧東海道の本通り、製茶処「佐の幸茶店」。 店の横にお地蔵さん お地蔵さん(七商会)「金運上昇」 所在地:静岡県島田市本通7丁目 12:13 旧東海道の本通りから路地を入り。 曹洞宗 佛殿山林入禅寺 所在地:静岡県島田市祇園町8512-1 林入禅寺本堂 12:17 林入禅寺の東にある「須田神社」 須田神社鳥居と本殿 須田神社の境内に「大井川の川越し」のポスター 2019.4.6(土) ~ 5.26(日) 須田神社の境内と本殿 12:23 旧東海道に戻りJR島田駅方面へ 12:24 刀匠 島田顕彰碑と島田刀鍛冶の由来碑 島田の刀鍛冶は、室町時代より江戸時代末期にいたる約400年間の歴史をもち。繁栄 期には、この島田に多くの刀工が軒を連ね、鍛冶集団を形成していたという。 その系譜は、義助・助宗・広助を主流とし、作風は、相州風・備前風などのみえる業 物打ちであった。・・・・・・・ 島田鍛冶集団は、中世末期から近世にいたる島田の歴史のなかでも、とりわけ燦然と 輝いている 12:26 現在の地図における江戸時代の史跡場所 旧東海道の島田の宿場の様子が案内図により説明 12:27 旧東海道(県道34号線)の本通りはモール化 しまだ おすいマンホール「帯祭」 12:29 おび通りに建つ「からくり時計塔」。 所在地:静岡県島田市本通4丁目。 この通りは平成20年度国交省の美しいまちなみ優秀賞を受賞している。 この場所は旧東海道の宿場の中心で、下本陣があった場所。 からくり時計塔の下に「下本陣跡」「島田宿本陣跡」がある。 からくり人形出演時間:午前10時~午後8時までの1時間ごとにお出まし 島田宿本陣跡 島田宿には、西から上本陣村松九郎治家、中本陣大久保新右衛門家、下本陣置塩藤四 郎家の三軒がありましたが、脇本陣は有りませんでした。 参勤交代の行列は、数百人から千人以上に及び、戦のときの行軍と同じと考えられて いたため、大名の泊まる宿を戦場と同じく「本陣」と呼んだといわれた 下本陣を示す碑で置塩藤四郎家跡 からくり時計塔 12:31 天野屋横に「本陣跡」の碑 12:32 上本陣 村松九郎治家跡の石柱 ホテル割烹 三布袋に上本陣の碑がある。「サンポテイ」と読み150年の歴史がある 俳聖芭蕉翁遺跡・塚本如舟邸跡 12:33 芭蕉は島田宿の俳友塚本如舟を二度訪ねており、ニ度目は元禄7年(1694)5月で芭蕉 最後の旅となった。その際、大井川が川留になっており4日間も如舟の家に滞留する こととなった。碑にある句には如舟のもてなしへの謝辞がこめられている 藤枝駅から金谷宿ー続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.05.24 06:00:15
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