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おじん0523のヒロ散歩

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2019.07.03
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カテゴリ:東海道53次
前日にJR浜松駅近くのホテルへ宿泊して、弥次さんと磐田市の見付宿から浜松宿を
目指した。

5/23(木) 6:03
早朝のホテル部屋から南方面


6:34
当初8時ごろの電車に乗る予定であったが、暑くなるので早めにホテルを出発。
JR浜松駅とアクトシティ浜松
アクトシティ浜松は市有施設と民有施設によって構成される複合施設群である。
2009年(平成21年)現在、静岡県内で地上高のもっとも高いビルであるアクトタワー
を擁している。外観は、音楽の町・浜松を意識して、ハーモニカをモチーフにして
いる。地上高:212.77m、地上:45階、地下:2階、塔屋:1階の高層建築物で、
1994年(平成6年)8月に開業した


浜松駅新幹線改札口


浜松駅 6:39発の興津行きに乗車して磐田駅へ向かう。
6:46 天竜川を渡る


6:53
JR磐田駅に到着、4月9日以来の訪問である


磐田市イメージキャラクターの『しっぺい』。
平成23年に、磐田市を広くPRするためのイメージキャラクターを公募し、全国から
1,210点もの作品が集まり、その中から市内に伝わる霊犬伝説「悉平太郎(シッペイタロー)」
をモチーフにした「しっぺい」が市のキャラクターに選ばれた


6:55
駅前ロータリーと磐田駅舎。
ここから今日のゴール点『浜松宿」へ向けて出発


6:58
磐田駅北口にある『満徳寺』へ向かう。
真宗大谷派(東本願寺)光恩寺 満徳寺
所在地:静岡県磐田市中泉1-4-7
鐘楼がある大門(二重門)の前に立つが、時間が早く扉は閉まっていた


光恩寺 満徳寺の塀沿いに歩く


満徳寺の近くにある『大乗院 三仭坊(ダイジョウイン ミヒロボウ)』へ向かう


7:00
大乗院 三仭坊
所在地:静岡県磐田市中泉1-10-6
真言宗醍醐派の寺院で、また修験道(山伏)の祈祷道場でもある


境内に入り石段の途中で咲いていた「ヤマボウシ(山法師、山帽子)」


約220年前建築の『大乗院本堂(庚申堂)』。

室町期の作と伝えられる本尊庚申様、脇仏として、役行者、理源大師、弘法大師な
どを安置している


睡蓮の花が咲いていた


境内の隅に植えられた『本家帰りの蘇鉄』


寺伝によると家康公も戦勝祈願に訪れ、見事勝利をおさ
めた。喜ばれた家康公は、記念に自らの手で蘇鉄を二株
境内に植樹された。
昭和の時代、その二株の蘇鉄は当山より市に寄付され、
市庁舎の西側に、もう一つは西小学校に植えられた。
平成18年に都市計画による当山の境内竣工を記念に、市
庁舎の蘇鉄の小株を譲り受けここに植えた。
故に「本家帰りの蘇鉄」と呼ばれている


7:10
弘誓山 西願寺
所在地:静岡県磐田市中泉250-1
左の石柱は「弘誓山 西願寺」。右側は「真宗大谷派 東本願寺末」





西願寺本堂


弘誓山と書かれた扁額


西願寺の山門


旧中泉御殿 裏門 市指定文化財。
西願寺の山門は、旧中泉御殿の裏門を移築したものである。
旧中泉御殿は、徳川家康が浜松城市であった天正12年(1584)に現磐田駅南の地域に
別荘として建築され、以後約30年間使用され、寛文年間に廃止された。
この間、家康が鷹狩りを兼ねて休養に来磐している。後に主殿と裏門は西願寺に移
され、主殿は本堂として使用されていたが改築され現存しない。
平成17年11月21日、市指定文化財として指定されている


山門前にある石碑


7:13
西願寺を後にする


7:18
中泉歴史公園
所在地:静岡県磐田市中泉1335-167


徳川家康と中泉御殿。
徳川家康の鷹(たか)狩り好きは良く知られているが、JR磐田駅南側に「御殿遺跡公
園」がある。天正15年(1587)年頃、家康は中泉府八幡宮神主の秋鹿(アイカ)氏から献上
されたこの地に鷹狩りの際に使う中泉御殿を築いた。
天正18年になると、家康は豊臣秀吉の命で関東への国替えとなるが、中泉の1千石は、
その後も「在京賄料地」として安堵され同御殿も廃止をまぬがれた。
本拠の江戸と大坂を結ぶ東海道のルートを、中泉御殿を経由するように変更。
鷹狩りの休憩・宿所としての使用だけではなく、秀吉死後の関ケ原の戦いでは同御殿
から出陣、大坂冬の陣でも軍議が開かれるなど、軍事的に活用されたことが指摘され
ている


当該地は平成4、5年に発掘調査を実施し、大規模な堀と土塁が発見された。
古絵図を見ても、大池を背後にした広大な敷地は、まさしく城郭構えであることが
分かる。「御殿」は家康没後に廃止され、建物は近隣の寺院などに払い下げられた。
その表門が同市見付の西光寺に移築され、主殿と裏門は同市中泉の西願寺などに移築
されたと。遠江国は幕府幕府直轄領となった。
家康の死後、中泉御殿の北東に隣接する地には、「御陣屋」と呼ばれる中泉代官所が
造営されている


二代将軍 徳川秀忠公は、大阪冬の陣を終えて帰還する
元和元年二月七日、此処秋鹿屋敷に本陣を置き父家康公
と対面した場所


7:19
公園内には鮮やかな新緑が拡がっていた


7:23
旧東海道に戻り浜松宿に向かって歩くと「弘法大師堂」の石柱


旧街道から北側に入ると小さな弘法大師堂


広場の片隅に『お弘法さま』と刻まれた石碑


7:26
弘法大師堂跡は解体されたのか今は駐車場に?


7:28
旧街道に戻り進むと右手に『中泉交流センター』
所在地:静岡県磐田市中泉2404-1


旧街道沿いの交流センター前に立つ「大正時代の中泉」


江戸時代の中泉絵図


夢舞台東海道道標『磐田市 中泉』
豊田町まで 0.5km
見付宿 宿境まで 二十三町(2.5km)


7:36
旧東海道をさらに進む


7:37
旧東海道を歩き進むと、県道261号線との合流点に位置する
『くろん坊様』、『大乗院坂界隈』


くろん坊様。
黒坊大権現は、旧東海道筋で、現在地の西約百米(現磐田
化学正門)の田んぼの中にあった祠を移したもので、咳や
熱病の神様とされています。
インド人の旅僧が手にかけられて金品を奪われてしまった
ので、土地の人々が手厚く葬ったものといわれており、
毎年11月3日が縁日とされています


大乗院坂界隈。
旧東海道のこの坂を「大乗院坂」という。この坂の途中に山伏の寺「大乗院」があ
った。そこに祀られていた地蔵菩薩像・阿弥陀如来像とも現存する。
大乗院北の台地一帯は「御林」と呼ばれ、明治22年に開通した中泉駅のホームは、
この地(現 千寿酒造)に設置された工場で作られた赤煉瓦をもって築造された。
磐田の「煉瓦発祥の地」である。この北側の道(細江線)は、開通した中泉駅より豊
田町池田までの「中泉軌道」跡である。
昭和25年5月19日の「空襲」によりこの坂の南北に4発の被爆があり、8名の死者を
だした。現在地の東20米の位置に推定樹齢約200年、樹高23米、目通周3.65米の黒
松の「大松」があったが、昭和27年に伐採された


7:38
同場所から振り返る、右側が旧東海道、左が県道261号線(磐田細江線)


7:39
旧東海道(県道261号線)を進む、左手に「磐田化学工業㈱」


7:40
旧東海道の祝川に架かる『一言橋』を渡る。
川を挟んで「磐田化学工業㈱」「高砂香料㈱」がある


7:42
旧街道の南側に高砂香料㈱


7:43
旧東海道(県道261号線)の万能橋交差点



                           見付宿から浜松宿ー続く





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最終更新日  2019.07.03 10:49:03
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