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カテゴリ:東海道53次
旧東海道(国道1号線)は鈴鹿峠を越え緩い坂を下り土山宿へ向かう。
2/21(金) 11:49 旧東海道(国道1号線)山中交差点の南側に『熊野神社鳥居』 所在地:滋賀県甲賀市土山町山中194 献灯と献灯に、珍しいしめ飾り 脱穀した稲穂をぶら下げ 鬱蒼とした境内に入り綺麗に整備されていた 拝殿の扁額「熊野神社」 拝殿左に小さな「津島神社」「愛宕神社」 稲荷神社も 11:59 旧東海道(国道1号線)に戻り進む、キロポストは東京(日本橋)より435km、大津まで50km 12:01 前方に集落が見えてくる 田んぼの隅に小さな石の祠、しめ縄をしているので五穀豊穣でも願っているのか 春も近づき小さな花が田んぼの畦道に咲く 野獣除けの一部? 田植え後は田んぼのまわりに柵をつくるのか 12:07 旧東海道(国道1号線)を進むと前方に新名神高速道路の高架橋が見える 12:07 浄土宗十楽寺(じゅうらくじ) 所在地:滋賀県甲賀市土山町山中351 入口角に「甲賀西國四十三番目」の石柱 国道の向かい側に石灯籠 甲賀四十三番観音札所 十楽寺 鈴鹿峠方面の国道1号線 十楽寺の境内に入り、鐘楼と本堂 十楽寺の文化財 東海道の鈴鹿峠をひかえた山中の浄土宗十楽寺には、古代より交通の要地として知られた場所柄 から多くの古像が伝えられている。 ■甲賀市指定文化財 木造阿弥陀如来坐像 平安時代 ■甲賀市指定文化財 木造十一面観音立像 平安時代 ■甲賀市指定文化財 木造摩耶夫人立像 室町時代 鐘楼の手前に歴代住職の墓標か 12:13 十楽寺の先にある『山中城址』の石碑 山中城址の石碑 山中城址碑の下にあった、しめ縄で囲んだ石碑 石碑には「山神」と刻まれている 旧東海道(国道1号線)の前方を見ると、新名神高速道路の高架橋が大きく見える。 旧東海道はこの先を右側へ 12:18 国道1号線の山中西交差点の右側にある公園 石灯籠 国道沿いに「東海道土山宿散策図」 各名所への距離を書かれているが、今日のゴール点土山宿の「東海道伝馬館」までは4.5km あいの土山観光案内図 あいの土山3大イベント 3月下旬 あいの土山斎王群行 6月中旬 鈴鹿馬子唄全国大会 11月上旬 あいの土山マラソン まだ新しく整備されたようだ。 石碑には、鈴鹿馬子唄が刻まれている 石碑をズームアップ 鈴鹿馬子唄 坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る 近江・伊勢の国は鈴鹿山脈で隔てられ、二つの国を行き来するには必ず峠を越えなければならな い。江戸時代の東海道は鈴鹿峠を越えていたが、「東の箱根、西の鈴鹿」と言われるように旅人 には非常な難所であった。そのためにこの峠を人や荷が越えるのには馬の背を借りることが多く なり、馬の手綱を引いて駄賃を取る馬子たちも多く存在した。 彼らの間で自然発生的に唄われたのが鈴鹿馬子唄で、日本各地に伝わる馬子唄や追分節とよく 似ており、ゆっくりした調子で哀愁を帯びた節で唄われる。歌詞は七・七・七・五の甚句形式で、 主に関宿や坂下宿のことが唄われている。冒頭に掲げたのは一番の歌詞であるが「あいの土山」 の解釈には諸説があり判然としないものの、その中の一つには「あいのう雨が降る」即ち「間も なく雨が降る」と解釈する説もある。しかし今日では意味を問うことなく「あいの土山」として 三音節ながら土山の枕詞のように使われ多くの人々に親しまれている 12:20 鈴鹿峠が分水嶺となりこの辺りは山中川、この先は野洲川と合流して琵琶湖へ流れる。 前方に、新名神高速道路の高架橋、私は既に何度も走っている高速道路である 公園を振り返る 12:24 旧東海道沿いに『地蔵大菩薩』 民家の玄関先には信楽焼のタヌキ 新名神高速道路の東京方面 新名神高速道路の京都方面 左上は国道1号線 高さが20m位ある高架橋を見上げる 旧東海道は高架橋を潜り 12:30 山中一里塚公園へ モニュメントは「第二名神」滋賀県起工の地 平成7年(1995)12月18日に当地滋賀県土山町山中地先の土山橋下り線の下部工工事が第二名神の 滋賀県での最初の工事として着工されました。当地が第二名神の起工の地であることを記念し、 また、古より東海道の宿場町として道と共に栄えてきた ”あいの土山” の未来永劫の発展を願い、 ここに記念碑を建立します 滋賀県土山町 山中一里塚公園 所在地:滋賀県甲賀市土山町山中 ここまでの歩数は、22,700歩 山中一里塚公園の石柱 石碑は「山中地区圃場整備 竣工記念碑」 関宿~土山宿-続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.04.12 03:00:06
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