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おじん0523のヒロ散歩

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2022.09.27
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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散策
日の入りまで1時間あるので「柳島記念館」へ向かう。

9月14日(水) 16:25
途中にあった「柳島しおさい公園」。
所在地:神奈川県茅ヶ崎市柳島1900
開園時間  午前 6:00 ~ 午後 6:45


しおさい公園に入ると入口に工事用看板が並んでいた。


こちらの看板は「用水機械設備工事を行っています」。
令和5年3月15日まで
時間帯 8:30 ~ 17:00


駐車場へはスロープを上り、柳島水再生センターの上が人工土地になっている。


茅ヶ崎市柳島しおさい公園
ウォーキングやお散歩に最適なコースのご紹介
各コース(1周)の距離を確認してGO!
公園外周コース  1,100m
A コース ・・・ 625m
B コース ・・・ 415m
C コース ・・・ 360m


ネット内には、少年蹴球場(人工芝グラウンド)・多目的広場(土グラウンド)。
日の入りの時間等もあり今回はスルーして、柳島記念館へ向かう。


国道134号沿いに、
「小さい手 大きい手 地球をむすぶ 平和の輪
   平和宣言都市、核兵器廃絶平和宣言都市、茅ヶ崎市」。 


国道脇に建つ看板、
神奈川県 流域下水道整備事務所
公益財団法人神奈川県下水道公社(柳島水再生センター)


柳島記念館
所 在 地 :神奈川県茅ヶ崎市柳島1879
営業時間:9:00 ~ 21:00
下水関係の記念館かと思い訪れたが、ネットでは技術博物館とあったが。


柳島記念館前に『建設記念』の碑が建つ。


建設記念
県央を洋々と流れる相模川は有史以来その豊かな流れと美しい姿で県民に安らぎを与えてきま
した。この清流をとこしえに守り続けていくことが今に生きる我々の務めであります。
神奈川県をはじめ流域八市四町の緊密な連繁のもとに着手された相模川流域下水道事業の拠点
となる本処理場は地元柳島の方々の生活の基準である用地の提供など絶大なる協力により本日
ここに施設も整い無事処理開始を迎えたことを記念しこの碑を建立するものであります。
  昭和五十二年十二月吉日
    神奈川流域下水道事業連絡協議会
      神奈川県知事  長洲一二    海老名市長 佐藤 究 
      茅ヶ崎市長   征木一策    座間市長  本多愛男 
      平塚市長    加藤積吉    寒川町長  高橋 誠   
      藤沢市長    葉山 峻    綾瀬町長  鈴木 進    
      相模原市長   館盛靜光    愛川町長  相馬晴義
      厚木市長    石井忠重    城山町長  中島秀昭
      伊勢原市長   中村周二


入口の壁面には、
『相模川流域下水道事業記念館
      下水道研修センター』
この表札を見ると誰もが下水道関係の記念館と思うが。館内に入り受付の女性にで聞くと2階
に博物館的な昔の農機具等を展示していると。


靴を履き替え2階のフロアーに上がり。


柳島のうつりかわり
春:農家の春は忙しい。田園や畑を耕し種を蒔く、芽が出た苗を育てて、田園や畑に植える。
夏:夏になると春に植えた野菜も稲もぐんぐんと伸びるが雑草ものびるので草取りをする。
秋:5~60年前は小出川も松尾川も魚が沢山居て泳げるきれいな川でした。取り戻したいね。
冬:木は秋に・・・・加工をします。・・・・・。


海濵眺望図(江戸時代の終わり頃)


2階の展示スペースは準備中とのことであったが、
砲術場略図 天保頃
図の中央に、茅ヶ崎/小和田の村境、小和田/辻堂の村境がひかれている。
左下、「鉄砲場 鉄砲道」
徳川幕府は享保13年(1728)片瀬村から柳島村にいたるまで、海岸一帯を海陸両用の砲術調練場
として設置した。鉄砲道は伊豆韮山で造った鉄砲を柳島湊に回溝陸上げして運んだ道である。
ここから東方百米程の所に「相州砲術並柳島湊跡之碑」がある。
右下、「佐々木卯之助 供養碑(本村海前寺)」
鉄砲場を管理した大筒役の佐々木卯之助は、付近の農民が鉄砲場を開墾したのを黙認したため
処罰された。今でも地域の人たちは卯之助の恩を忘れず供養している。


柳島のうつりかわり
明治15年 陸軍参謀本部 測量
文永八年(1272)柳島の地名が始めて記録に見られる。文政七年(1824)「地誌御調付書上」「新
編相模国風土記稿」編算の資料として柳島から幕府の役人に提出したものに詳細な記録がある。
次にその一部を記す。
田、六町一反九畝一四歩二厘(6ヘクタール余)
畑、二十二町五反十一歩(23ヘクタール余)
村名の起開発の年月は不明、家数 75軒
用水は無く、潮の満干によって田を仕付ける。土地の産物は申し上げるほどのものはなく、農
間の嫁は川縁の芦・茅を取り簾・葦簾或は〇・苫をあみ、近郷又は街場へ持運んで売る。

柳島湊は相模川と相模湾をひかえた物資流通の要所として江戸時代に栄え、四百石船三艘、小
舟四艘を有し、近在、村々の年貢米やその他の物資の回漕が盛んに行われた。当時は汽車も自
動車もなく大量の物の輸送は船にたよるしかなかった。東海道線の開通は明治20年(1887)で
ある。湊の位置はほぼこのあたり(柳島記念館)で昭和43年に地下7米(m)より大錨二つが掘り
出された。

絵は「藤間柳庵の持船・観音丸」。
藤間柳庵は幕末から明治維新のさなか、柳島村の名主役として又相模湾の要港柳島湊の船主と
して地域社会に多大な貢献、神奈川の100人に選ばれる。


関東大震災前は現在の柳島小学校のところは相模川が流れており、その南150米のところに渡
し場がありました。向河原の畑を耕作するにはこの渡し船に頼っていた。大正十二年(1923)の
大地震により土地が二米程隆起し渡し場のところに河原橋をかけ大変便利になった。又大正十
三年に今のポンプ場のところから新川を掘り二十ヘクタール程開墾し専用〇と称し耕作した。
震災前の田植えは潮の満干による水の増減が著しいので潮時を見はからい昼夜の別なく行なわ
れた。それでも潮が満ちてくると苗がもぐってしまうので大変苦労した。そのうえ塩水の害に
より収穫皆無のこともあった。
その頃、時化どきの満潮時には浜道も水についてしまった。海岸の火災の時は他部落の者が帰
りに道がなくなって驚いたという話もある。
このあたりは江戸時代柳島湊が栄え、その後大正十一年頃(1922)柳島湊の計画、昭和二年(19
27)飛行場、昭和四十年頃(1965)湘南港や観光施設の計画もあったが、昭和五十二年(1977)
水質管理センターが建設された。
昭和三十年頃まで漁業も栄え新造船の船おろしや大漁の時に船上で歌われたのが大漁木〇歌で
ある。現在の大漁船上げ唄である。
エンコロ節も航海の無事を祈り(祝)って歌われたものである。
   茅ヶ崎市の無形文化財に指定(昭和五十一年)
   神奈川の歌五十選に入選(昭和五十三年)


右上の地図
明治15年の地図に現在の道路(赤線)を入れた。
相模川の下流に島があった。


藤間柳庵(1801~1883)
柳島村の名主で廻漕業を営み、多くの記録や書を遺したことは知られているが、神奈川史上に
名を残したのは著書「太平年表録」である。嘉永6年(1853)記し始めた表録は小田原大地震の
記事で始まり、明治5年(1872)の第七編で了となる。
激動の幕末から明治維新の波乱の中で、柳庵の深い教養と時代の推移を見つめる観察力、洞察
力、又庶民ならではの描写は生き生きしている。ペリー来航、江戸大地震、長州藩征討、幕府
軍進発明治維新前後等々、当地域や幕末明治維新の歴史々料を伝える。
江戸時代、海上交通の拠点として栄えた柳島湊も明治に入り、陸上交通の発達とともにその機
能は終息し、農業と漁業を生活の中心とする苦しい村であった。
柳島の生活を一変させた出来事が起る。
大正12年(1923)の関東大震災であった。柳島でも大きな被害にあったが、地震による海岸部の
隆起と、その後の県の復興事業とともに新川の築堤、小出川の改修、水門の整備などにより、
柳島の人々を悩ましてきた水害が解消され安定した生活が送れるようになった。隆起した河川
敷の内16町1反を専用耕作地として申請、昭和2年に許可がおりた。
16町1反は当時の村の戸数161戸を意味している。
昭和35年には開墾した土地の払い下げが実現した。


東海道と大山道


茅ヶ崎の偉人 藤間柳庵


かつての柳島湊
関東大震災で土地が隆起して河道が変るまで柳島と須賀は良港で船舶にぎわった。
昨年10月23日(土)に訪れた時のブログ「​旧藤間家住宅​」👈 をクリック願います。


かつての柳島村


二階には畳敷きの小会議室があり、いろんな練習等が行えるようであった。


障子張りの部屋。
営業時間が21時までと遅かったので夜はいろんな活動に使用されているのか。


床の間付きの部屋も。


昔の農機具が展示されていた。受付の女性からは「柳島の博物館」と。


アマビエの「疫病退散」。


一階にはカラオケ大会が開催できるような大ホール。


16:45
神奈川県 流域下水道整備事務所
所在地:神奈川県茅ヶ崎市柳島1899
柳島水再生センターは相模川河口の茅ヶ崎市側に位置し、昭和52年12月に処理を開始しました。
現在は、一日に531,700m3/日最大の下水を処理する水処理施設(9系列)や、汚泥処理施設が
稼働しています。
※ 事業計画上、水処理施設は9系列で531,700m3/日最大です。


神奈川県 流域下水道整備事務所
公益財団法人 神奈川県下水道公社
柳島水再生センター


藤沢の鵠沼海岸までのサイクリングロードの起点「柳島」が近くにある。


そのサイクリングロード脇にカンゾウが咲く。


彼岸花も満開近くに、いつの間にか彼岸花が咲く時期に。


まだ満開ではなさそうだが。


ズームアップ。


テトラポットの間にはオシロイバナが咲いていた。


何処からか飛び散って来たのであろうが生命力が旺盛である。


相模川左岸への途中振り返り江の島を望む。


子供たちがテトラポットの中で泳いでいたが。


茅ヶ崎漁港沖の平島。


烏帽子岩をズームアップ。


17:00
日の入り前30分になり撮影ポイントを探す。
天気も悪く撮影者は一人であったが、昨夜の9月13日(火)が良かったと。


この後、カメラを三脚にセットして日の入りを待つ。
右側の湘南平後方に富士山があるのだが。


西の空は雲が多かったが、江の島方向は青い空も見える。


この後、夕陽撮影に挑戦するが。

                                        END





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最終更新日  2022.09.27 03:00:09
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