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カテゴリ:国内旅行
昨年6月10日(金)に旅友と真鶴半島を訪れた時、参拝しなかったので今回立ち寄った。
2月9日(木) 14:10 貴船神社 (きぶねじんじゃ) 所在地:神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1117 7月27日・28日の例祭は「貴船まつり」「貴船神社の船祭り」と呼ばれ、「日本三船祭」の一 つとされている。「海上御渡 (小早船)」「花山車」「鹿島踊り」「囃子」などを特徴とする。 1976年(昭和51年)に県の、1996年(平成8年)に国の重要無形民俗文化財に指定された。 鳥居前の広場に車を駐車したが「ご本殿(上境内)まで直接お車で、お越しになれます」と。 ![]() 鳥居前に社号標石「貴船神社」。 ![]() 貴船神社 貴船神社縁起 今からおよそ千二百年ほど昔の夏、真鶴岬の笠島 (現在の三ツ石) の沖合に、夜ごと不思議な光 が現れ、海面を煌々と照らしていました。ある日「平井の翁」という人が磯辺に出て遥か沖を 見渡したところ、光を背にした一隻の楼船が波間に浮かび海岸に近づいてくるので、船内を調 べてみると、そこには木像十体余りと、口伝によれば、「この神をお祀りすれば村の発展があ る」と記された書状があったとされます。その夜、神は翁の夢に現れ、自らが大国主神である 事を告げました。そこで翁は村人と力を合わせて社を建て、村の鎮守の神としてお祀りしたの が、現在の貴船神社の起源と伝えられています。 ![]() 貴船神社はもと、貴宮大明神とよばれていましたが明治初年から現在の名称になりました。 当社の歴史は古く寛平元年 (平安前期の889年) の創建といわれ、平成元年にご鎮座1100年祭 を行いました。 毎年七月二十七日、二十八日の祭礼「貴船まつり」は当地の神話をもとに江戸時代前期から行 われ、日本三船祭りの一つとして有名です。 なお、社殿への石段の数は、鳥居をくぐり上境内まで108段で、仏教では煩悩の数とされます。 これを踏み越えるので、当社ではこの石段を「清めの石段」などと申します。車でもお上りに なれます。足に自信のおありの方は、是非参道の石段をお登り下さい。 御祭神 主祭神 大国主神 (大黒さん) 事代主神 (恵比寿さん) 少彦名神 当神社の例祭は、左記の指定を受けています。 県指定無形文化財 (昭和三十三年) 県指定無形民俗文化財 (昭和五十一年) 国指定重要無形民俗文化財 (平成八年) ![]() 境内配置図 ![]() 貴船神社 古くは 貴宮(きのみや)大明神ととなえていましたが、明治維新の際 貴船神社と改めました。 寛平元年 (889年) の創建といわれ、大国主神 事代主神 少彦名神がまつられております。 毎年7月の27・28の両日におこなわれる貴船祭は、日本三大船祭の一つとして有名で、同時に 奉納される鹿島踊りとともに、神奈川県の無形文化財 (昭和33年) 無形民俗文化財 (昭和51年) に指定されております。 ![]() 慰霊碑 太平洋戦争では真鶴町からも多くの戦没者を出した。毎年八月十五日に慰霊碑の前では「戦没 者を追悼し平和を祈念する式典」が執り行われ、遺族会をはじめ多くの人達が参列する。 ![]() 慰霊碑の左に立っていた石碑には「永遠に輝く塔」。 平成七年八月十五日に終戦五十周年になります。平和日本の礎となりました英霊諸兄 の献身的尽力を讃えると共に、この偉大なる功績が永遠に輝き続けるよう関係者一同 と多数の協力者と心を合せて永遠に輝く塔を建立し、併せてご遺族の子孫の長久と郷 土の繁栄を祈るものである。 平成七年八月十五日 ![]() 忠魂碑 ![]() 鳥居を潜り社殿を見上げる。 ![]() 参道右側に立つ石碑「小早新造」。 ![]() 参道左手に「震災復舊紀念」碑。 ![]() 参道右側に「頼朝の腰掛石」。 ![]() 頼朝の腰掛石 石橋山合戦 (1180) に敗れた源頼朝が「しとどの窟」に身を潜め、真鶴の岩海岸より船出した 故事は有名であるが、敵より敗走する際に休憩したと伝えられる岩が「頼朝の腰掛石」として、 当社境内に奉納されている。 他にも、真鶴へと逃げ込んだ際に親切に世話をした村人に「御守」「五味」「青木」の名字を与えた 話や、敵の襲撃から逃れた喜びのあまり狂喜乱舞した「謡坂」など、真鶴には頼朝に関する数 多くの伝承が残っている。 ![]() 頼朝の腰掛石 治承四年 石橋山の合戦で敗走した源頼朝とその従士が身を潜めた「鵐窟」付近にあっ た巨石で、いつしか「頼朝の腰掛石」と称されるようになりました。 昭和九年に行われた真鶴港の改修工事に伴い当社に移築されました。現在は石碑状に 建立していますが、ご覧いただいています正面が「腰掛石」の上面となり本来は水平 に据え置かれていたものです。闇夜の中、安房の国(千葉県南部)に落ち延びる船出の 計画や鎌倉幕府創建の軍議を重ねたであろう、歴史の一幕を感じつつ、ご覧下さい。 ![]() 貴船神社 御祭神 大国主神 事代主神 少彦名神 創建は平安時代、宇多天皇の寛平元年(八八九)六月十五日と伝える。古来真鶴の鎮守で、 漁業や海上安全の守り神ともされ、人々の篤い信仰を受けて貴宮大明神と呼ばれた。 明治初年貴船神社と改称し、同六年郷社に列せられた。大正十二年の関東大震災から復興する に当り、境内を拡張して昭和十年現在地に社殿を移転、同三十八年本格的な造営が完成した。 拝殿内部の彫刻一切は、幕末の巨匠江奈の半兵衛の名作である。 大正三年二月、華頂宮博忠王殿下、久邇宮邦久王殿下の御参拝があった。 例祭は毎年七月二十七・二十八日・神輿の海上渡御は日本三船祭りの一つとして名高くこれを 含む「貴船神社の船祭り」は、昭和三十三年に神奈川県無形文化財、同五十一年に同県無形民 俗文化財、平成八年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。 ![]() 参道左側に「小早船彫刻修復 櫂伝馬船新造記念碑」。 ![]() 小早船彫刻修復 櫂伝馬船新造記念碑 日本三大船祭りにも数えられる「貴船祭り」に使用してきた、小早船、櫂伝馬船は 昭和二十八年に建造され、以来四十余年の風雪に耐えた小早船の彫刻等も(江戸末期 作)。永き歳月のあいだ彩色、修理もせぬまま打過ぎ損傷も激しく、平成五年日光市 小西美術工芸社に依頼し、県、町の補助金と奉賛会基金により無事完了し、六年七月 華麗なる状に復元した。一方、櫂伝馬船は当時船材を町より払下げられ、建造費は西 櫂伝馬船を船主組合・海運関係者等で賄われたが、東櫂伝馬船は昔よりの「しきたり」 により棟梁故平井幸作氏の寄附により建造された。また、櫂伝馬船も毎年修理を重ね つつ使用してきたが、最早や限界に達したので、平成七年徳島市(株)浜本造船所に建 造を委託した。今回の新造に際し町(株)鈴木組・奉賛会及び花漕花山車関係者の御協 力により無事完成され、九年度例大祭に勇姿を真鶴港に浮かべることができた。 なお、この貴船祭りは平成八年十二月二十日、国指定無形民族文化財に指定されたの で、茲に過ぎ来し事跡を録して記念とする。 平成九年七月二十七日 貴船神社 ![]() 参道左手に「手水舎」。手水鉢には御神紋の「三つ巴」が刻まれていた。 ![]() 参道右側の狛犬 (阿形像) ![]() 左側の狛犬 (吽形像) ![]() 狛犬の阿形像の後方には社務所、貴船愛児園の遊具が並ぶ。 ![]() 参道の両側に常夜燈。 ![]() 階段を上ると左側に「龍神社」。 海神をお祀りする社で、漁民の多い真鶴町においては、航海の安全と大漁を祈念する参拝者に よって篤く信仰されている。 ![]() 龍神社前の玉垣。 ![]() この新小松石の玉垣は、嘉永元年五月(1848)に建られたものですが、永き歳月により 風化も甚しく、危険も伴うので今回修復し、保存するものです。 昭和五十九年六月吉日 貴船神社玉垣建設委員会 ![]() 龍神社横から真鶴港を見下ろす。 ![]() 階段下右側に広場があり、貴船稲荷社、恵比寿大黒社、淡島明神社が並んでいた。 ![]() 貴船稲荷社 御祭神 宇迦之御魂神(うかのみたま) 例祭日 二月初午 御神徳 五穀豊穣 商売繁盛 福徳円満 家運隆昌 当社に古く祀られていた稲荷社に、真鶴町の各家庭で祀られていた稲荷を合祀した社。 近年、京都伏見稲荷大社より御分霊を勧請した。稲荷は食物・稲作・農耕の神として広く信仰 され、狐の姿をした神、あるいは狐が大神の使者とみなされることも多い。 ![]() 朱の鳥居の扁額には「正一位 稲荷大神」。 ![]() 鳥居を潜ると「稲荷大明神」と書かれた多くの旗。 ![]() 集められたのか多くの石洞があった。 ![]() 貴船稲荷社の左側にも石祠、石碑が並ぶ。 ![]() 右に「恵比寿大黒社」、左に「淡島明神社」。 ![]() 恵比寿大黒社 御祭神 事代主神 (恵比寿さん) 大国主神 (大黒さん) 御神徳 海上安全 大漁祈願 開運招福 商売繁盛 貴船神社の御祭神で、恵比寿・大黒は古来、福の神とされる。 七福神は様々な神仏が宝船に乗り、合祀されるものであるが、地域や時代により交代がなされ たのに対し、恵比寿と大黒は移るこなく、七福神の中心として崇敬された。当社は商売、漁業 に携わる人達の信仰が篤い。 淡島 (あわしま) 明神社 御祭神 淡島明神 御神徳 安産 子授け ご婦人の病気の守護 和歌山県に鎮座する加太(かだ)神社は、淡島明神と呼ばれ、各地の淡島社はこの神社より御分 霊を勧請したものと伝えられる。櫛や簪の奉納、またニ月八日の折針を供えた針供養、三月三 日の娘雛などの人形供養をすることも、この信仰の特色である。 ![]() 左側には「猿田彦神」碑。 出雲大社守、天鈿女命 (あまのうずめのみこと) 等の文字が刻まれていた。 ![]() 大石段下の右側に2基の寄進碑 ![]() こちらにも「貴船神社御造営寄附芳名」碑が並んでいた。 ![]() こちらの石碑には「改築記念」と。 ![]() 大石段 本殿までの108段の石段は、煩悩の数と同数である事から「清めの石段」と呼称され、修行の 道のりとされる。真鶴で産出する小松石の中でも「青」という最良石で作られており、雨に濡 れた際の景観は一層おもむき深い。 石段の両側には小松石で造られた石燈籠が奉納されていた。 ![]() 煩悩の108段の石段を上ると正面に拝殿。 ![]() 右側の狛犬 ![]() 左側の狛犬 ![]() 一直線の階段を見下ろす。 ![]() 拝 殿 貴船神社の本殿は関東大震災の後、水害を避ける為、現在の108段の清めの石段の上に遷座さ れ、当時、震災に最も強いとされた鉄筋で建立された全国でも珍しい社殿である。本殿の中に は旧御社殿の脇障子等の彫刻が安置されている。 ![]() 拝殿の扁額「貴船神社」 ![]() 拝殿前には、 当社の御祭神は、大国主の神 (大黒さん) 事代主の神 (恵比寿さん) 少彦名の神の三神 をお祀りしている神社です。主な御利益として、良縁結び・病気平癒・商売繁盛・家 内安全・学業成就・厄除け祈願等があげられます。ご祈願をされ身も心も清々しく豊 かな御縁を結びましょう・・・。 ![]() ⇐ 各種ご祈祷 受付所 厄除け・家内安全・商売繁盛・身体健全・病気平癒・安産・初宮・家祓い・交通安全 ・海上安全・大漁満足・除霊鎮魂・清祓・その他各種の心願成就祈願受け賜ります。 ![]() 14:25 拝殿に掲げられていた、「小早船飾り提灯奉納者」 東【船名大提灯】東明丸 脇山長男 西【船名大提灯】貴宮丸 うに清 ![]() ー 続く ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.03.08 03:00:07
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