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おじん0523のヒロ散歩

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2024.04.27
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カテゴリ:東海道53次



旧東海道を歩きゴールの「茅ヶ崎一里塚」まで、後約1キロになる。

4月6日(土) 11:40
歩道橋上から北側に第六天神社の境内を見下ろす。


第六天神社
所在地:神奈川県茅ヶ崎市十間坂3丁目17-18
境内には境内社や石仏などが安置されている。また、社殿の裏には御神木である直径95センチ
程の黒松がある。


境内のサクラが満開であった。


一段高いところに拝殿。
時間の関係か拝殿への参拝はなく、説明がなかったのが残念であった。
浜降祭に参加する神社である。


拝殿の扁額は、山岡鉄舟(山岡鉄太郎)書の「第六天神社」。
山岡鉄舟は幕末から明治時代に活躍した幕末の三舟(勝海舟、高橋泥舟)の一人で、単身
にて敵陣に向かい西郷隆盛と面談して交渉し、江戸無血開城への道が開かれた。


玉垣に、
例大祭 令和六年四月二十九日(祝)
   ・大祭式・・・・ 九時開式 (雨天斎行)
   ・神輿渡御・・・ 十時二十分ごろ ~ 十七時ごろ (小雨決行)
   ・演 芸・・・・ 十八時十五分開演
サポーター募集
   準備段階と例大祭のサポーター募集
     4月20日(土)、4月29日(祝、月曜)  無給と 

ツアーガイドの案内で境内の裏側へ廻る。
案内板には「第六天さんの黒松 パワースポット」と。


パワースポットの、「第六天さんの黒松」。
社殿裏の一段低いところに聳える樹齢が200有余年と推定される御神木の松。


松の幹回りは約2メートルと。


見上げるが松の先端は落雷で折れていた。
もう少し第六天神社に関する説明が欲しかったが次の目的地へと移動。


12:05
高野山真言宗 円蔵寺
所在地:神奈川県茅ヶ崎市十間坂1丁目3-39
国道1号(旧東海道)側からも入れるが、南側の山門から入り参拝。
境内には相模国準八十八ケ所十五番、七十六番の祠をはじめ、六地蔵や修行大師像、乃木将軍像、
護国忠魂碑などが祀られている。


山門を入ると右側に建つ「護摩堂」、若木だが枝垂桜が満開に。
ツアーがまず向かったのが境内の南東部奥へ。

護国忠魂碑と乃木希助大将の像
忠魂碑は、茅ヶ崎村兵事会が明治38年10月16日に建立したもので、日清・日露及び日支事変に
おける戦没者13柱(日清役2柱、台湾土匪征役2柱、日露役8柱、日支事変1柱)が合祀されてい
る。 当初、茅ヶ崎小学校に建立されたが、戦後同寺へGHQの指示で移設されたと。
忠魂碑の隣には、昭和10年に建立された乃木将軍石像がありいずれも御影石製。


乃木希助大将の右横前には ”水師營のなつめの木” と ”石碑”。


立札には「水師営のなつめの木」と。


水師營の会見
旅順開城約なりて 敵の将軍ステッセル 乃木大将と会見の所はいづこ水師營庭に一本なつめの
木 弾丸跡もいちじるくくずれ残れる民屋に今ぞ会見る二将軍 乃木大将はおごそかに 御恵
深き大君の大詔伝うれば 彼かしこみて謝しまつる 昨日敵は今日の友 語る言葉もうちとけ
て 我はたゝへつ彼の防備 彼はたゝへつ我が武勇 礼正して言い出でぬ この方面の戦闘に
二子を失い給いつる閣下の心如何にそと 二人の我子をそれぞれに死所を得たるを喜べり こ
れぞ武門の面目と大将答へ力あり両将畫餉共にして 尚も畫せぬ物語 我に愛する良馬あり 
今日の記念に献ずべし 好意謝するに余りあり戦の掟に従いて 他日我手に受領せば 永くい
たわり養わん さらばと握手ねんごろに 別れて行くや右左 つゝ音絶へし砲台にひらめき立
てり日の御旗
  平成十九年十二月建立
      中澤 菊治


乃木将軍像は、碑高370㎝、幅93㎝、厚さ47㎝、台石50㎝、基壇110㎝。
”水師營” については、令和元年(2019)6月25日(火)に旅した「​中国・東北地方八日間の旅​」👈
をクリック願います。


円蔵寺本堂
寺伝では永享元年(1429)創建、開山は善誉上人とされています。元和八年(1622)に法談所と
なり、慶安二年(1649)将軍徳川家光より朱印状を受けました。近世には十三ヶ寺の末寺を持つ
中本山として栄えましたが、大正十二年(1923)関東大震災によって倒壊、旧地に観音堂(本村5
丁目)を残し、昭和四年(1929)現在の地に移った。
本尊は、薬師瑠璃光如来、日光菩薩、月光菩薩、および厄除秘鍵大師(秘仏)。
ツアーは参拝もせず次の場所へ。


円蔵寺の詳細は以前ブログアップした「​円蔵寺​」👈をクリック願います。

次の説明は国道1号沿いの歩道の ”おすいマンホール蓋”
マンホール前に立ち「デザインがまともに見える方向が汚水管の下流側です」と。
デザインは烏帽子岩とカモメ。


国道1号(旧東海道)の北側(上り線)を東へ向かう。
かつての旧東海道沿いの茅ヶ崎市内には約1,000本の松があったが現在は約300本だと。


前方は国道1号茅ヶ崎駅前交差点。
今回のツアーは女性の方が多かったか。


Googleマップには「東海道を200年以上見守ったクロマツ」と。
所在地:神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎1丁目2
茅ヶ崎観光協会の前にある松の切り株にプレート。


東海道を200年以上見守ったクロマツ
この切り株は、高さ20m、太さ2.5m、樹齢は約200年(江戸時代後期から生息)で、茅ヶ崎地区
に植栽されたクロマツの中で一番の巨木でした。
平成21年(2009)3月に腐朽のため伐採させましたが、茅ヶ崎駅北口周辺特別景観まちづくり地
区のランドマークであった証をモニュメントとして残し、その記憶を継承します。
     平成24年3月    茅ヶ崎市

茅ヶ崎市観光協会
扉に、「OPEN AM8:30~PM5:00  定休日 土日・祝祭日」。
Googleマップでは、不休で営業時間:9時00分 ~ 19時00分 とあったが。駅構内にもある。


クロマツのモニュメントを後にする。


次に訪れたのがヤマダデンキの敷地内にある「純水館茅ヶ崎製糸所跡」。
所在地:神奈川県茅ヶ崎市新栄町12-33
かつて、1917年(大正6年)から1937年(昭和12年)のわずか20年程だが、当地に高品質な生糸を
生産する製糸工場があった。このことを知る市民は10%も満たないことから、この記念碑を建
てる運動が起きた。私もこの運動に賛同、1,000円を寄付したので招待状が届き令和4年(2022)
12月14日(水)に純水館記念碑の除幕式があり参加した。


”純水館記念碑 (歴史掲示板)” の表面
純水館茅ヶ崎製糸所跡    ~ 世界屈指の技術を誇る製糸工場 ~
  大正六(1917)年 ~ 昭和十二(1937)年
純水館茅ヶ崎製糸所は、現ヤマダデンキ茅ヶ崎店LABIを中心とした敷地約一万二千坪、約三百
五十名が働く大工場として、館長の小山房全により大正六(1917)年に繰糸(生糸生産)を開始し
ました。
 この地に純水館を開業した理由
一、南湖院に小山久左衛門 (長野県小諸で純水館を創業した実業家) の家族が入院し、南湖に
  別荘を構えたため茅ヶ崎と縁があった。
二、茅ヶ崎町長をはじめ町の有志や地主が積極的に工場誘致をして、茅ヶ崎駅近くに広大な土
  地を確保できた。
三、茅ヶ崎が生糸輸出港の横浜に近く、鉄道で生糸を輸送できた。
四、高座郡が養蚕地帯であり茅ヶ崎に大きな製糸工場がないため、良質の繭を確保できた。
五、掘り抜き井戸により大量の水が確保できた。
  ・・・・・ 以降省略。


”純水館記念碑 (歴史掲示板)” の裏面

純水館茅ヶ崎製糸所外観図
1923(大正12)年2月、第2回国際絹物展覧会(ニューヨーク)出品時の英文パンフレットから。
純水館に関する資料が少ないため写真も古く折れている。


この場所は国道1号の茅ヶ崎駅前交差点南西部角地にある。
除幕式のブログは「​純水館除幕式​」👈 をクリック願います。
因みに国道を挟んだ北側には「旧寛永寺石灯籠」4基がある、又その先に「加山雄三」の銅像も。


12:30
ゴールの「一里塚交差点」へ到着。
まず歩道を渡り前方の「平成の一里塚」へ。


一里塚交差点の向かい側には南東方向にある江戸時代の「一里塚」。
直進するとJR茅ヶ崎駅へ。


平成の一里塚
かつては旧東海道を挟んだ北側にも対の一里塚があった。
現在は狭いながらもベンチが置かれ休憩場所になっている。


『平成の一里塚』
一里塚は、慶長9年(1604年)、徳川家康が息子の秀忠に命じ、旅人たちの目安となるよう東海
道や東山道、北陸道の沿道に一里(約4km)ごとに設けられました。塚は、沿道の両脇に築き、
大きさは5間(約9m)四方と決められていました。市指定重要文化財である一里塚は、起点であ
る江戸の日本橋から14番目のものです。現存する一里塚の向い側にあたるこの近辺に、塚があ
ったといわれています。しかし、昭和に入って、道路の拡張に伴い取り除かれてしまいました。
参勤交代の大名行列もとおり、多くの旅人たちが行きかった東海道。記録によると、塚の右側
からは姥島(烏帽子岩)が見えたと伝えられています。また、エノキが植栽されていたことが、
延享2年(1745年)の『東海道巡覧記』や幕府の道中奉行が江戸後期に作成した『東海道宿村大
概帳』などに記されています。
この場所は、歩道整備工事の一環として平成22年、ポケットパークとして整備され、江戸時代
の一里塚と同様にエノキが植栽されています。
一里塚は、市内でも数少なくなってしまった近世茅ヶ崎の東海道の面影と、当時の素朴なぬく
もりを伝えてくれる貴重な文化財です。南側の史跡「一里塚」とともに「平成の一里塚」とし
て、末永く市民に愛される場となることを願っています。
           茅ヶ崎市
           茅ヶ崎市教育委員会
           ちがさき丸ごとふるさと発見博物館
              平成23年10月
        寄贈:茅ヶ崎湘南ロータリークラブ


南側に江戸時代の一里塚


茅ヶ崎一里塚
   昭和三十六年八月十五日
   茅ヶ崎市史跡指定
徳川家康は関ヶ原の戦いの翌年慶長六年(1601)、東海道に伝馬の制を制定し以後江戸を中心と
した交通網の整備にとりかかりました。
慶長九年(1604)、徳川幕府は東海道などの一里(約四キロ)ごとに塚を築き、旅人の目安にしま
した。東海道は江戸の日本橋を起点にしています。茅ヶ崎の塚は日本橋から十四番目にあたり
ます。かつては道の両側にありました。
               茅ヶ崎市教育委員会


塚の周りは柵で囲われており中には入れない。


一里塚交差点から茅ヶ崎駅までの通りを「一里塚通り」と名付けられている。
今日の目的地は全て終了、この後は昼食と。


12:40
割烹寿司 魚重 (うおじゅう)
所在地:神奈川県茅ヶ崎市元町3-24
今回のツアーの案内で「昼食は新鮮な魚を使った茅ヶ崎市の老舗で特製ランチをご用意
いたします」と。落伍者もなくちょうど昼時に到着した。



茅ヶ崎駅の北口から200メートル程の所にあり和食を楽しめる。
外から見ると高級感があり訪れるのは今回が始めてであった。
店先に置かれていた ”ランチメニュー”
各 1,100円 (税込)  リーズナブルな価格である。


店内はカウンター席、座敷。


我々は座敷のテーブル席へ。
ここまでの歩行数は13,500歩であった。


料理が出てきたが、他に、魚のフライがあるとのことで撮影のため待つが・・・・。
ぶりの西京漬け、刺し身もマグロ・ぶり・アジ・生しらす。


遅れて出てきた魚のフライ (ぶり・ワカサギほか)。
どれも美味しかったのでお代わりで軽くご飯を依頼した。


食事後恒例のアンケートを提出。
今回のツアーに参加して、藤沢宿と平塚宿の間にある間宿として栄えた茅ヶ崎をより知る事が
出来たことに感謝申し上げます。
初めての企画で予定時間に到着しなければがあったようだが。
敢えて言うなら、
① 旧東海道沿いにある寺社の紹介 (但し、沿道100メートル以内)。
② 金剛院内の旧茅ヶ崎役所跡、市役所入口の旧寛永寺石灯籠。
③ 旧東海道沿いの道祖神 (中島)。
④ リーフレットが欲しかった。

13:55
昼食を終え家路につく。


14:00
愛車のリンちゃんを預けたイオン湘南茅ヶ崎の駐輪場へ。
歩けるかどうか心配したがどうにか遅れることもなく安堵した半日であった。
ミモザもご苦労様と。


因みに、今回歩いた旧東海道は平成30年(2018)10月20日(土)に歩いておりその時のブログは
「​茅ヶ崎から大磯宿​」👈 をクリック願います。

                                       END






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最終更新日  2024.04.27 03:00:09
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