1988601 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

おじん0523のヒロ散歩

おじん0523のヒロ散歩

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

オジン0523

オジン0523

楽天カード

カレンダー

お気に入りブログ

御用邸のある町・三… New! jinsan0716さん

コメント新着

フリーページ

ニューストピックス

2024.05.21
XML


牛ケ谷戸諏訪神社から目的の「田中店」へ向かう。

4月15日(月) 13:40
南向院 (みなかたいん)
所在地:埼玉県比企郡川島町三保谷宿354
牛ケ谷戸諏訪神社の裏に車を止めたので、農道を走り県道74号線へ出る前にあった墓地。
後方を横切る高架橋は圏央道。


入口左手に立っていた新旧の六地蔵。


入り口横には古い墓石が4基。


新旧の六地蔵には ”地蔵札” が貼られていた。


南光院阿弥陀堂
真言宗智山派寺院の南光院阿弥陀堂の創建年代等は不詳ながら、江戸期には氷川山寂年寺南光
院と号する真言宗寺院で、三保谷宿氷川神社の石鳥居(宝永3年1706年)に「別当南光院第九世
住法印隆善代」と銘されていることから室町時代後期頃の創建が窺えます。
不動明王を本尊とし、三保谷宿氷川神社、三保谷宿愛宕社の別当を勤めていました。年不詳な
がら廃寺となり、阿弥陀堂として残されていますと。


堂宇には「南光院 阿弥陀」と。


墓地には移設されたのか笠付きの墓石が数多く並んでいた。
墓石には、延享、享保等の年代が確認できた。


中央の笠付き墓石には、
正面に「為先祖代々一切菩提也」。
側面に「三保谷宿 田中治郎右衛門應昇」と。


宝篋印塔が一基立っていた。


境内に建つ案内板は「ゴミの持ち帰りです」だけで他になかった。


看板には「南光院共同墓地管理者」と。
堂宇の扁額も「南光院」だがGoogleマップは「南向院」で、正式名称は???。


南向院を後にする。


南向院から県道74号線(日高川島線)へ出て北上。

13:50
田中店
所在地:埼玉県比企郡川島町下八ツ林 244-1
地元の雑貨店で店内ではパン、雑貨等を販売しており目的のものはなかった。店頭では地元の
新鮮野菜の販売をしていたが、リーズナブルな価格でなかった。


田中店から県道74号線(日高川島線)を引き返し、眼に入った神社へ立ち寄る。

14:00
氷川神社
所在地:埼玉県比企郡川島町三保谷宿 572
三保谷宿は、室町期から戦国期に見える三保谷郷の本郷の地といわれている。『平家物語』寿永
四年(1185)二月十八日の屋島合戦に見える美尾屋十郎広徳の本拠地で、美尾屋氏の居館は現在
の大字表にあり、光徳寺が菩提所であるという。
境内のソメイヨシノは散り始めており訪れるのが数日遅かった。


三保谷宿氷川神社の創建年代等は不詳ながら、当地は美尾屋十郎広徳の本拠地で、牛ヶ谷戸・
山ヶ谷戸・表村・上下新堀・吉原・紫竹・三保谷の9ヶ村を三保谷郷と称され、当地はその本
郷地とされている。当社は、武蔵国一の宮氷川神社を勧請して創建、地名も本社に倣い大宮と
名付けられ、三保谷村の鎮守として祀られてきましたと。


鳥居横に集会所が建っていた。


入口には2枚の看板、
左に「氷川神社々務所」
右に「三保谷宿集落センター」と。


境内の奥に杜に囲まれた社殿が建っていた。


平成九年(1997)に着手完成した社殿。


氷川神社 幣拝殿改築記念碑
御 由 緒
当社の創建年代は、不詳であるが、武蔵国一宮氷川神社より御分霊を奉祀したと伝え
られている。
社伝によると、元禄十年九月に社殿を再建し、内陣に金幣を納めた。その後、宝暦十
年十二月、御神体に彩色を施し、安永五年七月本殿を改築、さらに、弘化四年十一月
拝殿と覆屋を再建し、御神体に彩色を施したとある。
その後、昭和三十三年火災に遭い、本殿、幣殿、拝殿を焼失したが、翌三十四年に再
建している。
しかし、幣殿、拝殿は仮復旧だったため、不朽が甚だしく、遠からず改築をと、氏子
の崇神の念厚く一同で決議し平成五年から資金の積み立てを開始し、九年に着手完成
したものである。
  主な祭典
祈 念 祭    二月二十四日
例  祭   四月十日
神輿渡御式  七月十五日
新 嘗 祭    十一月三十日  


右側の狛犬、阿形像。


左側の狛犬、吽形像。


拝殿の扁額「氷川神社」。


社殿の右側に廻る。


本殿は覆い屋で覆われていた。


社殿前から南側の境内を見る。


境内の西側に「境内社六社合殿社」。


境内社浅間神社入口


御祭神    木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
この浅間さまは、「初山」の名で親しまれ「子育ての神」としての信仰が篤く、この山に登り参
拝することにより富士山に登山したのと同じになると言われております。
「初山」とは、新生児の健やかな成長を祈るもので、神社では両親に抱かれて参拝したお子様の
額に朱印を押して無事な育成をお祈りしております。


浅間神社への登り口に「力石」。


二つ置かれていたがどちらも「力石」であろうか。


「力 石」
この石は、力石と言って昔、力自慢の若者がこれを担いで御本殿の回りを一周した者が、姓名
を刻んで社前に奉納したものと言われます。
初山のお子様が健康に育つように、この力石に手を触れて下さい。


鬱蒼とした階段を上り頂上に ”浅間神社” の石碑。


紙垂で飾られていた。


『風土記稿』には「氷川社村の鎮守なり、南光院の持」と載せられている。
この南光院は、当社の南西400メートルほどの所にあった氷川山寂念寺と号する真言宗の寺院で、
表村光徳寺の末寺であったと。先程訪れた「南向院」のことであろう。


14:05
まだ時間が早かったが、自宅まで約100キロあるので帰路につく。
ルートはお土産の「福蔵最中」も買いたいので、一般道を走ることに。


カーナビを「自宅」一般道優先にして、県道12号線(川越栗橋線)を南下。
交差点は国道254号の「川越市 宮元町」。
この交差点を左方向へ進み国道を南下。


まだ時間が早く渋滞もなく順調に走る。
ネットで「福蔵最中」を検索して販売店を調べるべきであったのだが。


川越城の東側を南下、国道254号の小仙波交差点の ”小仙波跨道橋” 。
カーナビの案内はこの先で右方向へ進み国道16号へと。


国道16号を西方向へ進むがお土産は諦める。矢張りネットで調べるべきであったが頭が・・・。


この先”脇田新町交差点”を左折して更に国道16号を進む。


14:40
道路標識では関越道の「川越I.C 1km」と。
ここを入ると鶴ヶ島JCTから圏央道へ入れるのだが渋滞もなかったのでこのまま進むことに。
八王子 34km、入間 10km。


15:10
このまま一般道を走ると八王子で渋滞するので「入間I.C」から圏央道を利用することに。


入間I.Cを入り圏央道へ。事故の無いことを祈りながら。


八王子方面へ。


順調に走り八王子JCT。


八王子JCTから南下、「上依知 (Kamiechi) 第一トンネル 長さ 589m)。


お土産を購入しなかったので代わりに寒川にある ”日本一たい焼き” を購入するために寒川北
インタで下りることに。しかしここも休日であった。


15:50
寒川北料金所
ここ寒川北インタはETC専用で搭載していなければ下りれないのか。
ゲートには「ETC」「ETC/サポート」とあったが。


16時過ぎには自宅へ到着、往復約230キロのドライブであった。
目的の ”日本五大桜の石戸蒲ザクラ” は予想通り見頃を過ぎていたが、”伝鎌倉街道” を知る
ドライブでもあった、また知らなかった石戸宿、三保谷宿と気になる地名も。
機会があればまたいつか訪れたいと。

                                        END





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.05.21 03:00:12
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.