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おじん0523のヒロ散歩

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小田原城下を歩く(そ… New! jinsan0716さん

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2024.09.27
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この日は気温が少し下がり田舎へ帰る前に車の調子を見るためにミニドライブ。
目的地は相模国5社の一つで伊勢原市にある「三之宮比々多神社」。
併せていつものようにその周りの寺社史跡巡りを行った。

9月16日(月) 10:05
圏央道の海老名南JCTから新東名高速道路を利用。
前方の大山は雲に覆われていた。
伊勢原JCT
ここからは東京方面へは行けないので要注意である。


カーナビの案内はここ伊勢原大山インタを出る。

新東名高速道路はまだ新秦野インタまでが完成。
新秦野から御殿場間の工事が遅れ全線開通予定は2027年の予定だと。


伊勢原大山料金所
利用料金は590円で祝日であったが割引にはなっていなかった。
シルバーウイークは休日割引の対象外であると。


この辺りは遺跡、遺構が多く発掘調査が行われている。


県道611号線(大山板戸線)の石倉橋交差点。
右折すると阿夫利神社の登山駅「大山観光電鉄大山ケーブル駅」へ至る。


県道612号線(上粕屋南金目線)の大山入口交差点手前にあった新しい燈篭と石碑。


この交差点を右折すると県道611号線(大山板戸線)の大山バイパスへ。


道路脇に車を止め正面から。


石碑には、「関東総鎮護 大山阿夫利神社」と。


台座には、
「大山阿夫利神社本庁敬神教会として、
 令和御大典奉祝記念碑建立に率先協賛された
 先導師・宗務会議員を此処に記す」と。


県道611号線(大山板戸線)を南下、前方に東名高速道路の防音壁が見えた。
いつもこの辺りの高速道路は渋滞している場所である。


三ノ宮交差点。
カーナビの案内はここを右折して西方向へ。中高年の方がランニング・・・。


三ノ宮交差点から東名高速道路に沿って西へ走る。
鈴川に架かる下谷戸橋。


橋の手前に道祖伸があったので駐車。
この辺りに点在していたものを集めたのであろうか。


道祖神
所在地:神奈川県伊勢原市三ノ宮1149


中央の石仏には「大日如来」と刻まれていた。


鈴川の上流側
鈴川は、伊勢原市と平塚市を流れる金目川水系の二級河川である。
二級河川部分の延長は14.72km。伊勢原市の丹沢山系・大山に源を発し南流して伊勢原市西部、
平塚市中部を流れる。平塚市南原で渋田川を合わせた後、金目川に合流する。

下流側には東名高速道路が走っている。
この後、数百メートル先を右折して山側へ。


右折するとすぐにある案内板。


比々多の見どころ
東名高速道路を挟んで多くの寺社史跡があるがこの日は北側を巡る。


比々多神社に到着、誘導員の案内に従って駐車場へ駐車(無料)。
三之宮自治会館


三ノ宮・宮ノ前遺跡
三ノ宮・宮ノ前遺跡は三之宮比々多神社の境内やその周辺一帯に広がっている遺跡です。これ
までに5回にわたって発掘調査が実施され、縄文時代の竪穴住居、敷石住居、土坑、配石、ピッ
トなどが発見されています。
この案内板前の地点の調査では、縄文時代草創期(今から1万~12千年ほど前)の遺物が出
土しました。土器50点、石器類629点、礫51点などです。土器は「微隆起線文土器」と呼ばれ
る底が丸い深鉢形で、外面にみみず腫れのような細い粘土ひもが貼り付けられています。また、
石器には三角形の「有舌尖頭器」があります。弓矢として使用されたものです。
縄文時代以前の旧石器時代は寒冷気候で、人々は大型動物を獲物として生活していました。し
かし、今から12千年ほど前に訪れた気候の温暖化により、増加した小動物、木の実、海産物
などを食料とする生活へと変化していきました。縄文時代の始まりです。その変化にはさまざ
まなものがありますが、なかでも特徴的なものが弓矢の使用と土器の発明です。動きの速い動
物を捕るための弓矢、木の実や貝などを煮るための土器が新しい時代を象徴する遺物といえます。
宮ノ前遺跡の縄文時代中期、後期には人々が定住する集落が営まれていました。中期では竪穴住
居、後期では住居の床に石を敷いた敷石住居が発見されています。使用されている石には、小田
原から伊豆半島東岸に産出する根府川石ではと呼ばれる扁平な石も含まれています。重い石をわ
ざわざ運んできたことになります。また、ひとつの敷石住居からは鹿の角で造られた釣針が出土
しました。大きさから大型の魚を捕るためのものと考えられます。このほか、周辺では縄文時代
の住居が数多く確認されており、当地が気候的にも、地形的にも優れた環境であったことを物語
っています。
このほかにも三之宮比々多神社境内の付近は、弥生時代、古墳時代の遺物が出土したり、平安時
代や中世の祭祀遺構が確認されたりしており、永い年月にわたり人々が活動していたことがわか
ります。
また、ここから北側50mのところには、東名高速道路建設時に発見された下谷戸遺跡の敷石住居、
配石が三之宮比々多神社のご協力により復元されています。宮ノ前遺跡とも関連する縄文時代後
期のものです。
  平成31年3月         伊勢原市教育委員会


駐車場に立っている「比々多地区 文化財ガイドブック」
1⃣ 三之宮比々多神社    2⃣ 比々多神社元宮    3⃣ 能満寺
4⃣ 齋藤家住宅       5⃣ 保国寺        6⃣ 聖峰不動尊


三之宮比々多神社
所在地:神奈川県伊勢原市三ノ宮1472
国土創造の神、豊斟野尊(とよくもぬのみこと)を祭神とし、酒解の神(さかときのかみ)を合祀
しており、酒造家の信仰を集めています。
付近には下谷戸ストーンサークルなど数多くの古墳があり、また、郷土資料館が設けられてい
て多くの文化財が収められています。中でも須恵器の瓶「うずらみか」や関東最古と伝えられ
る木像「狛犬」一対、日の丸の紋のある布目古瓦はたいへん貴重なものです。
毎年4月22日に行われる例大祭では3つの山車が出され、また植木市も催され大変賑わうと。
またこの日は「?」が開催されており多くの方が参拝しておられた。

鳥居の手前に立っていた幟旗には「祈 一心泣き相撲」と。


境内案内図


鳥居の前の広場が「⑯ お車祓所」になっている。


日本遺産のまち伊勢原
  《信仰の地「大山」の生い立ち》
  大山への信仰は古く、奈良時代には、霊山寺(現・宝城坊。通称・日向薬師)、石雲寺、大
  山寺が開かれ、平安時代にまとめられた「延喜式神名帳」に記される阿夫利神社や比々多
  神社、高部屋神社の成立などにより、信仰の地としての姿が整えられていった。
 日本遺産の構成文化財  ~ 比々多神社の主な文化財 ~
   ・うずらみか   ・比々多神社拝殿   ・こま犬


鳥居を潜ると右側に ”手水舎” 。


右側の狛犬、阿形像。


左側の狛犬、吽形像。


掲示板に、
延喜式内相模國三之宮 比々多神社
御祭神
 豊国主尊(豊斟渟尊) トヨクニヌシノミコト(トヨクムヌノミコト)
   国土創造の神
 稚日女尊 ワカヒルメノミコト
   機織りの機械・衣料等の神 
 天明玉命 アメノアカルタマノミコTト
   玉造り神 霊力発揮・子宝
 大酒解神・小酒解神 オオサカトケノカミ・コサカトケノカミ
   酒造りの神 酒類業 

境内では「一心泣き相撲」が行われていた。
泣き相撲は、1歳前後の幼児の泣き声を土俵上で競わせる日本の風習・神事。現代では主に幼児
の成長や安産を祈る目的で行われるが、神社で行われるものには氏神に対する新しい氏子の披露
という意味もある。例は少ないものの各地で行われ、勝負は相手よりも先に泣いた方を勝ちとす
るもの、逆に負けとするものと地域によって異なり、本来は勝敗に関係なく大声で泣かせる事に
目的があったと思われると。


鐘楼
境内には熱中症対策で数台の大型扇風機がミストを放っていた。


神楽殿が解放されていた。
その前では「一心泣き相撲」の神事が行われていた。


神楽殿には「三宮冠大明神」の幟旗。


土俵上には行司と二人の力士が幼児を抱っこしていた。
幼児は "化粧まわし" と ”かぶと” を装着。


土俵の前には多くの子連れの家族。


テントには「背伸び太鼓」の貼り紙。


背伸び太鼓にのり記念写真。


力士は近くの某大学相撲部の部員であろう。
既に人見知りをして泣いているのか。歯は2本。


額には「〇ノ姫」とあるので女の子であろう。
化粧まわしとかぶと。


泣き相撲は一組5分ほどの神事であったか。


境内には「タウンニュース」の腕章をつけたカメラマンが動き回っていた。


10:40
土俵上では行司役が「泣いてよ」と。



                                     ー 続く ー



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最終更新日  2024.09.27 03:00:10
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