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南の島物語

八丈島で釣りやマリンスポーツ専用のペンション『パパズイン』を経営しているパパ大津留です。
釣りでは知っている方も多いと思いますが、八丈島で安全なガイドをいたします。レンタルタックル完備、親切丁寧なガイドですから、誰でも八丈島の大物釣りが楽しめます。
パパズインの釣り情報は http://www.papasinn.com/ で覗く事が出来ます。

2020.03.20
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カテゴリ:音楽と旅と釣り

 

パパズインは、この7月で30周年を迎える。私が島に来て30年という事だ。

私は。もともとミュージシャンだ(だった?)。クラシック音楽を目指した学生時代から、それは挫折したものの、ジャズに転向し多くの有名ジャズバンド(ビッグバンド)を経験した。更にビッグバンド時代には作編曲も手掛け、TVなどのレギュラー番組を持ち順風万風だったかもしれない。

しかし、当時で、モダンで難解なジャズの演奏に疲弊したのかも知れないが、当時のR&B、ソウルグループの「アイク&ティナターナー」の演奏を聴き、その躍動感に圧倒された。まさに「これからの音楽は、これだ~!!」そんな気持ちで、管楽器主体のボーカルバンドを作ることにする。

それから十数年は、デスコのダンスバンドやナイトクラブのハウスバンド、そしてライブハウスでの演奏が主になった。

 

釣りは、釣りの番組に縁があって、30代の頃から、磯の石鯛から沖釣りまで、そして40代には、暇を見ては八丈島に釣りに来ていた。その頃、渋谷のライブハウス「エッグマン」でのステージだったと思う。150人ほどのお客さんが待っている中、前日に八丈島で釣りをして、帰りの飛行機が天候悪化で欠航になってしまう。

音楽事務所には散々に怒られ、こんな失敗は2度と繰り返してはいけないと思うはずだったが、「それなら、島に住んでしまえば、その心配もないだろう」そんな勝手な解釈。そして音楽界からは、磔つけ獄門の罪を一等減じられて、八丈島で流人生活をすることになった(冗談話だが)。

そして1990年、平成2年に有限会社パパズインを設立し、島での観光宿泊業に(一応はペンションという形で)従事することになる。

それは考えるに、30年にもなる。生まれて18年の津軽の田舎に育ち、その後は都会での20余年。すっかり島暮らしの方が長くなってしまった。

島に来た当時は笑い話も多い。建築が遅れ、当初は3月の完成だったがゴールデンウィークにも間に合わず、ようやく完成と聞かされ荷物を畳んで愛犬の「モモ」、愛猫の「クロ」を抱えて島に来たが、トイレは出来てない、水道は使えない、ドアに扉すらついていない。家を前にして愕然、途方に暮れた。

近くの民宿に、無理やり頼み込んで世話になり3か月後の7月に、ようやく何とか住める状態で引っ越す事が出来た。

完成を間近に、港のコンテナに留め置いていた荷物を運びこむ。島の若い友人たちに手伝ってもらう。昼休みだった、「お~い、冷蔵庫に冷たいお茶があるから飲んでいいよ」手伝ってもらった彼らに言う。しかし、まさか!!!である。冷蔵庫には完成記念に飲もうと買ったドンペリニヨン、一本3万円ほどのシャンパンを2本入れていた。

奴らは、一緒に入っている、麦茶とかコーラは飲まず、そのドンペリを2本、しかも湯飲み茶わんでガブ飲みしていた。

「こら~!!、おいおい、お前ら車で来てるのに、まさか・・・・」ここでも愕然である。当時、飲酒運転は、島ではそれ程は煩くなかったのかも知れない。

 

その後も大変だった。知らない土地での馴れないペンション営業だ。朝から営業し、昼には昼食。夜には、宿泊客の晩御飯を出して、その後はレストラン営業。あと片付けの後で風呂掃除などすると、そのままベットにバタンキューだ。夏などは、歩いて3分の海すら見る暇がない。

エリザベスは「夜中は人っ子一人通らない」と嘆き。「此処は、デパートも無ければ、マクドナルドやミスタードーナッツ、コンビニもない。夜の明かりは、月と星だけ、雨の日は全くの暗闇。寂し~い」と、まるで人生を呪ったかのように悲しむ。

しかし、こんな頑張りだが、23年続けると「こりゃ、体がもたない」と開き直った。

自分で釣りをしたい、エリザベスだって釣りをしたい。そこで、ゲストを釣りのお客さんを中心にし、それも、他の釣り宿との競合を避けてルアーを中心に考えた。

 

当時のルアーフィッシング、今ほどメージャーではない。まして、ジギングとなると、またナイロンラインを使い60グラム程度のメタルジグでやられる程度だ。そこからは、私の勉強の日々だ。

ナイロンラインのジギングから、PEライン、ベイトタックルの使用、アシストフック、100グラム以上の重いジグ(今は300500gが当たり前になる、深場は1キロまで振る)、スローなスタイルも含め今は当たり前のジギングだが、当時、ここまでの道のりは長かった。

やがて、J-1グランプリという20年の長きに渡るジギング大会(相当のパワーが要った)など、多くのジギングアングラーが訪れるようになり、八丈島はジギングの聖地と呼ばれるようになった。

当時、「ジギングの鉄人」とか「ジギングの開祖」「ジギングの神様」と言われた私だ(当時は他にも多くのアングラーはいたが)、今はレジェンドと言われるが、それも中々気恥ずかしい。もう終活を考えるような75歳。この島に来て、いよいよ30年目という節目を迎えるのだ。

好きなジギングだ、も少し頑張りたい。後輩には、老いの醜態は見せたくない。楽しいジギングだけやりたい。プレッシャーの感じる釣りはしたくない、思想の違う奴とはやりたくない。殷々々、様々な思いが巡る。

幸い、まだまだ楽しい仲間がいる。そして、私にとって大事な大事なお客様がいる。この島の釣り、ルアー、ジギング、そういった仲間に、若いアングラーに、私は今後、何を残すか?それを考える時期だろう。う、う、う、腰が痛い、背中が痛い・・・だが(笑)。

 

 

この7月で30周年を迎える八丈島のルアーフィッシング、ジギングでお馴染みのパパズイン(Hachijojima Guide service)ですが、感謝の気持ちをこめて、これからも心を込めた釣りを提供したいと考えています。勿論、パパの釣りはルアーフィッシングだけではありません。一般的な船釣り(五目釣りや泳がせ釣り)は勿論、豪快なトローリング、そしてルアーフィッシングとパパ大津留が初心者でも楽しい釣りが出来るようにガイド、コーディネート致します。勿論、大物釣り、トローリング、ジギング共に最高のレンタルタックルを用意し、仕掛けもパパの手作りですから安心して巨大魚に挑む事が出来ます。

まだまだ、気持ちを新たにし、ご案内する所存です。












最終更新日  2020.03.20 14:31:00
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