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2006.01.26
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カテゴリ:過去ログ
一昨日の「多事争論」のタイトルが、「やはり変」

      そう言う、あんたが変よ



 多事争論1月24日(火)「やはり変」

二夜に渡って、渡辺恒雄会長のインタビューをお聞きいただきましたけど、実は渡辺さんは長い政治記者で、私も元々は政治記者でありまして、渡辺さんは言わば大先輩であります。

しかしながら読売新聞と、私は朝日新聞におりまして、政治的な主張そういうものは対極でありまして、そして去年は渡辺さんとよく「盟友」などと呼ばれる中曽根元総理とのインタビューをやりました。お二人とも前から存じ上げてますけど、サシできちんと話をしたのは初めてであります。そしてもちろん中曽根さんは非常にその当時「日本を右にもっていく人だ」というかたちで、特に朝日新聞はそういう批判を強めて、その一角に私はおりました。

ところが今お二人と話をしてみると、そんなに大きな隔たりはない。しかもお二人とも今の世の中に対して、相当な危機感を持っていると。これはやっぱり非常に変で、私自身が変になったのかな、とさえ思える訳でありますけれども。

今年、たくさんの人にもらった年賀状の中で「世の中が少し変なんじゃないか」と。ホリエモンの事件とか、そういうこともそうでありますが、この国全体が非常に感情的なナショナリズムと言いましょうか、そういうものに引きずられているところもありますし、それを政治が主導しているところもあります。やっぱり腰をすえて過去に何が起きたかということを含めて、いろんなことを考える、そういうことにしたいなと改めて思います。

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相当にズレまくっているこの人の言論は、分かった上でのものなのだろうか。
分かっていて、わざと発言しているのだろうか。
知らないはずはない、ジャーナリストなんだから。
それでも知らなかったと言うなら、一般人以下の能力だということになりますが。

彼は阪神大震災の時も、現地でレポートしてましたよね。
被災者の惨状だけを。


あの神戸で何があったか?しかし、たった一面だけのレポートだけでした。
彼の脳ミソは、どうも平面らしい。物事を立体的に捉える力がない。
ちがう?わざと、一面だけのレポートをしていただけですね。


あの震災の時、大活躍したのは「ヤクザ」と「自衛隊」だった。

 「日々日常」ブログ 社会党に殺された震災犠牲者 ←全文をお読み下さい

<前略>
それに比べて立派だったのが、
山口組のヤクザだった。
全国から若い衆が膨大な救援物資を
持って結集し、各所の被災者施設へ派遣され
本当にたくさんの被災者を助けた。

震災後、落ち着きを取り戻してから
多くの被災者市民が山口組本家に
感謝の挨拶に訪れた。
毎日やってきて、本家に手を合わせていく
おばあちゃんもいた。

「普段は“暴力団”などと呼ばれているが
その“暴力団”が一番よく救援活動をしたし、一番頼りになった」
という人もいた。

でも、こんなことを報じたマスコミは皆無だった。


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それから「自衛隊」

もちろん、いち早く地震に気づいていた自衛隊は、早々に偵察ヘリを飛ばしていた。
その惨状を前に、出動要請がなければ出動できなかった。

シビレを切らし、何度も電話を試みるが繋がらなかった。
ようやく繋がったとき、煮え切らない相手にこちらから切り出した。

「これをもって、出動要請とさせていただいてよろしいですね!」


つまり、自衛隊側から押しかけるカタチでようやく出動できたのである。

この話は、当時の某自衛隊幹部から聞いたものです。(ch桜にて)


その時の、被災者との別れの映像を観ました。
被災者は涙ながらに感謝の言葉を述べ、別れを惜しんでいました。

「以前は、自衛隊というと怖い印象を持っていましたが、今は違う。本当に助けてもらいました。食事もお風呂も、それに精神的にも・・」

「僕たちはこれから、この神戸を立てなおさなければなりません。そう背中を押してくれたのは、自衛隊でした・・」


答える自衛官、「困った時は、呼んで下さい!いつでも飛んで来ます!」。

そうして、被災者は泣きながら自衛官たちと抱き合い、握手をし、別れを惜しんだ。

「ありがとう自衛隊の皆さん」と書いたダンボール、手をふり「ありがとう」「がんばれよ」、トラックに駆け寄り握手を求め、そうして歓声の中を自衛隊の車列は去って行きました。

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もうひとつ。

中西輝政氏 (京都大学教授)   「Voice」 平成十六年三月号 (121・122p)

9年前(11年前)の阪神・淡路大震災直後の救助中に、倒壊した家屋の地下からたくさんの武器庫が 見つかったとされる。                
当時から、消息筋のあいだの噂として耳にしたが、この事実は現在では多くの信頼すべきソースで語られている。
そこには、2001年の奄美大島沖の「不審船事件」で、北朝鮮の工作船に積まれていたものと同クラスの武器も多数隠されていたという。


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筑紫哲也は、現場にいながら、これらのことを何一つ知らないとでもいうのだろうか。



こんなバカ議員もいたことを忘れるな→そして僕はぼやき続ける(人に暖かい政治ですか)

              永田ひろやす衆議院議員(民主党)







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Last updated  2006.01.27 21:05:45
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