ラスタ・パスタのレレ日記

2010/03/28(日)20:46

パスタ、琉球村で三線のレッスン♪♪

ウクレレ・ハワイ音楽・沖縄(160)

沖縄本島は、海岸を散歩するには気持ちいいが、本格的に泳ぐにはまだちょっと寒い。 そこで、午前中は室内プールで泳いだ後、午後は「琉球村」にレンタカーで出かけた。 「琉球村」って、沖縄のいろんな文化を題材にしたなんちゃってテーマパークかと思っていたら、大きな勘違い。 ちゃんとした「国・有形登録文化財」であるらしい。 そして築100年~200年の一般の古民家や富裕な農家のお屋敷を沖縄の各地から移築して集めてある、由緒ある場所。 その古民家やお屋敷に上がって、揚げたての黒糖のお菓子(サーターアンタギー)を食べたりお茶を飲んだり、シーサーの人形の顔を描いたり色を塗ったり、ヤギに葉っぱを食べさせたり、いろいろなことが体験できる。 僕の最大の目的は、三線を習うこと。目指すは、旧島袋家。 何?島袋、Jakeじゃないの、島袋家って弦楽器に強いの?なんて思ったら、これまた大きな勘違い。名護市から移築された築120年の豪農屋敷だとか。 そこで、三線のレッスンを受けたのだが、これがホテルなんかでやっているなんちゃって三線レッスンではなかった! 玉城貞子と昔少年隊として、国立劇場でも公演したことのあるおじさん(名前を聞きそびれました)が、直接、教えてくれたのだ。 【左から2番目のおじさんが、今回直接教えてくれた師匠】 まず、最初に、三線の文化は、中国から伝わってきて、琉球、沖縄で開花したこと。 「島唄」は、琉球の唄ではないこと、「涙そうそう」は歌謡曲だ、というようなことをびっしっと言われた。 中国から、古くから伝わってきたが、楽譜が出来たのはつい100年ぐらいの歴史だとのこと。 それまでは、それぞれがそれぞれの家族などの近しいものの仲で伝承で三線音楽を継承してきたが、みなが一緒に音楽をあわせるという機会が増えたことにより、楽譜を作らなければいけなかったので、作られたそうだ。 ご存知の方も多いと思うが、三線の楽譜は縦書きで 中 工 七 合 七 合 七 七 工 四 上 などと描かれている。 まず、そんなことから説明が始まった。 これは低い音(太い弦)から 一絃(男絃)、 二絃(中絃) 三絃(女絃) の、どのポジションを押さえるかが描かれている。、 (つまり弦とフレットの組み合わせが一文字で書かれている) (ただし、1弦2弦の数え方がウクレレと逆だ) さらに、ウクレレ的に言えば、 1フレットはどの弦での人差し指 2フレットはどの弦でも中指 3フレットはどの弦でも小指 で押さえる、という左手の指の使い方だ。 親指は、つねに支えで、ウクレレで言うネックのところにぴったりとくっつける。 ウクレレのように、ハイポジションで左手が移動するということはなく (少なくとも初級の唄では) フレットがない三線では、親指の場所が固定されていることで、 おのずと、左手の指の開いた幅に限界があることから、 音程がくるわずにすむ、ということのようだ。 また、左手の薬指はもともとは使わなかったようだが、 5声の沖縄音階に、今の12音階を付け加える時に、 中(2絃1フレット)と尺(2絃3フレット)の間を薬指で押さえる というようになったそうだ。 右手は、ギターのピックを大きくしたようなピックで弾く。 (昨日の三線お姉さんのように、人差し指に水牛の骨のサックのようなものを 人指し指の先につけるピックもあるようだが) さて、この縦書きの楽譜を、このお師匠さんは、現代風に ギターやウクレレのようにタブ譜で書いてくれていて、 それで、実際の練習が始まった。 曲は安里屋ユンタ(本調子) そのオリジナルのタブ譜は ----------------0---------- (3絃=女絃=高い) -----1----2--------------- (2絃=中絃=中間) --0----------------------- (1絃=男絃=低い) のように書かれていて、これをもとに数小節、安里屋ユンタを練習した。 体験教室の生徒は私も含めて9名。 1名の女性だけ、三線経験者であった。 まあ、ウクレレを弾けるので、タブ譜に書いてくれた譜面では かなり楽に弾けたが、三線経験者以外の参加者は、 親指の位置が動いて、音程がずれたり、 2絃(中絃)を弾くところを別の絃を弾いてしまったり 薬指をつかう場面は、基本的に出てこないのに 薬指を使ってしまったり、など、なかなか苦戦した様子。 まあ、それでも1時間、レッスンしたところで、ほぼ全員が、 とつとつ、と弾けるようになったくらいで体験教室は終わり。 レッスンの合間に、師匠がいろんな曲を弾いてくれたり みんなが知っている、童謡を弾いて、理解を早めさせてくれたり 沖縄の言葉の中に、突然、英語が入ってきたり 僕には、とっても面白い三線体験教室だった。 師匠は、ダブルネック・ウクレレならぬ、ダブル・ネック三線を作っていて、 上のネックは普通の三線 下のネックはウクレレの8弦と同じように、 一オクターブ違いの絃が、2本ずつ3組張ってある。 これで、ハイサイおじさんのようなにぎやかな曲を弾く時は、下の6絃三線ネックを弾き しっとりした曲を弾く時は上の3弦三線ネックを弾くというように使っているらしい。 最後に、参加者の中の唯一の三線経験者に、安里屋ユンタの伴奏を弾かせて、 自分は二胡でメロディを弾いてくれた。 実は、三線も二胡も中国から渡ってきたのだが、 当時の琉球王国では、絹の絃を作れたので三線が定着したが、 スティール弦を使った二胡は、当時、琉球では金属弦を作れなかったので 楽器として入って来れなかった、というような話も教えてくれた。 しかし、今やそれも出来るので、最近の演奏では、三線に二胡をあわせて共演することもあるという。 師匠の話は、すべてが興味深く、昔の中国や琉球、 海のシルクロード(三線が渡ってきた)と 陸のシルクロード(二胡は日本まで渡って来れなかった) などにまで、意識がめぐりとても楽しかった。 師匠は、最後に、「三線は楽しい時も悲しい時も弾いてください。 自分のそばにおいて、いつでもその時その時の気持ちや感情で弾いてください。 そうすれば、三線はみんなの人生の友となって、とても人生が豊かになるでしょう」 と言った。 最初は1万数千円の三線でいいので、ぜひひとつ買って人生の友にしてください、と。 ううぉ~、めちゃくちゃ三線を習ってみたくなったぞう。 1万円でいいのか。(後で調べたら、やっぱりそこそこ数万円のものを買うほうがいいらしいが) 楽譜がタブ譜で書かれていれば、曲さえ知っていればすぐに楽しく弾けるようになるかもしれない、しかしウクレレだけでも何本もあるのにどうするのか。。 ああ、ウクレレ弾きがなんか三線に恋しちゃったみたいだぞ。

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