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山々な日々 treskiさん

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2015.07.04
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カテゴリ:内遊び
先日、地元の山仲間5人と山スキーの納会を行いました。
このメンバーは年齢も職業もバラバラで、普通に暮らしていたら一緒に酒を飲む機会もなかったと思いますが、山で知り合ったのが縁で、数年前から山スキーやゲレンデで一緒に遊んでいます。

納会は、この会のリーダー、長さんの家に泊まって、昨シーズンの思い出話や来シーズンの山スキーの予定を立てました。

IMG_20150630_210646.jpg

私は酒が苦手なので、なるべく宴会は遠慮していましたが、今回の納会は参加して良かったです。
というのも、先輩方の話が面白かったし、久しぶりに飲んだ酒が思いのほか美味しかったからです。
特に、『船尾瀧』という地元の日本酒が非常に美味しかったです。
群馬の日本酒なんてどれも不味いと思ってましたが、認識を改めました。

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価格:1,822円(税込、送料別)



また、長さんから聞いた丹後山や一ノ倉沢での遭難一歩手前の体験談を始め、昔話が面白かったです。
昭和37年の年末に十字峡から巻機に縦走する予定で入山した長さんたちは、丹後山で吹雪に遭ってテントが押しつぶされそうになり、夜中に十字峡まで下って難を逃れたそうです。前日まで膝くらいの積雪しかなかったのに、一晩で2メートルを超える降雪というのはさすが越後の山です。その後、1週間以上荒天が続いたということで、そのタイミングで脱出しなければ、恐らく長さんたちも遭難していたのではないかという話でした。
来年の3月には、そのルートを逆からトレースする予定です。
その長さんの自宅には、カブトの飾り紐の先に着ける玉を祭った祠があり、柳田國男のお弟子さんが、長さんの祖母にその謂れを聞きに来たという話にも興味を引かれました。長さんご自身も、代々伝わるしきたりを大事にされる方で、手入れの行き届いている神棚や仏壇の様子や庭の大木からもそれが伺えました。樹齢350年の柿の木を樹医に診てもらったら50万かかったという話には驚きました。

それから、発掘調査をしているSさんから聞いた、6世紀の榛名の噴火による堆積層に当時の生活状況そのままが残っているという話も興味深かったです。
大規模な火砕流で、当時の時間が切り取られたようです。
榛名の二ツ岳の噴火で積もった軽石層から出てきた遺跡によると、6世紀に存在した社会には既に大きな貧富の差があって、豪農が奴隷を敷地内の別棟に囲っていたのだそうです。
教育によって奴隷状態を維持していたのか、武力によって押さえ込んでいたのか知りませんが、ルソーの言う人間の理想的な世界「自然状態」などというものは古代にもなかったようです。
それとも、奴隷状態というのは案外気楽なものだったのでしょうか。
奴隷社会に比べれば現代の方がマシ、と自信を持って言える人は、幸せだと思います。
私の場合、趣味を分散することで、没頭する為に没頭するような遊びからは離れるようにしていますが、それでも時々遊びの奴隷状態になります。

昨シーズンは始まって間もなく三俣蓮華で歯を4本折って左手首を捻挫し、シーズン中盤には雪崩で知り合いが亡くなり、山スキーはもう止めようと思ったこともありましたが、こうして山スキー仲間と雑談をしていると、山スキーの楽しさはなかなかのものなので、また11月になって雪が降れば、山スキーを始めることになるのかも知れません。
習慣で続けるのかも知れませんし、雪が降る地方では、雪を遊びに使うのは当たり前で、それを続けていると遊びは増々楽しくなってくるので、地元での雪遊びは止められないのかも知れません。

何はともあれ、遊びが過ぎると怪我をする危険も高まってくるので、それを最小限に抑えるための知恵と無茶を抑える精神力を培う努力が出来ないなら、そこそこのところで止めておいた方が良いのかもしれません。

とは言え、折れた歯も治らないうちから冬が待ち遠しいです。



ふゆとは触れることである。ふゆとふるは同じことである。
ふゆは物を附加する事であるが、もとは物を分割する意味である。
ふるはまな(外来魂)を人体に附加する事で、冬になると総てのものを切り替えるので、魂にも、外から来る勢力ある魂を附加するのである。
発音がふるともふゆとも言う為に、附加する事を意味して居る。
それが次第に変化して、魂の信仰も変わって来、自分の体の魂を分割して与える様になる。
則、魂に枝が出来る。勝手に分岐するのである。
ふゆは、分岐するから、増殖すると言う意味が出て来る。
魂を附加するのは、鎮魂祭である。此を魂ふりと言い、その儀式が厳冬に行はれる。魂ふりはまなを内部に附加して了ふ事であるが、支那の鎮魂は内の魂を出さない様にする事である。此が変化して来て、時の変り目に、内在魂が発散するから、此を防ぐ為の魂を鎮める行事となった。此がたましずめである。

『折口信夫全集』第二巻(p452)









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Last updated  2023.09.27 14:12:54



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