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2024.06
2024.05.08
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「地図にない場所」ってマンガが完結しました。


この【地図に無い場所】という言葉は…「ここではない何処か」に近い響きを持っているのだと思います。
「地図に無い場所で眠りたい」という言葉の持つ響きは、誰にも知られずにこの世から消え去りたいと語りかけてきます。
「地図にない街」という響きは、憧憬と郷愁をもって心の奥底をくすぐります。
そこには、「透明になりたい」という想いと通じるものがあるかと思うのです。
何処か知らない街の細い路地の先には、地図に無いー誰にも知られないー場所があるのではないかという誘いがあるのです。


海街ダイアリー6巻では、金沢の直人が「地図にない場所」について語ります。
学校で虐められて、辛くて、自分の居場所が何処にもないように感じた直人は、地図にない場所へと消えてしまいたいと考えます。地図に無い場所とは、「いま、自分の居場所が世界の何処にも存在しない」と思い込んでしまった人間が、それでも何処かに自分の居場所があるに違いないと自分の生存と存在を求める場所なのでしょう。
つまり、「地図にある場所」は、既にどこかの誰かの場所なのです。この世のどこにも自分の居場所がないというところまで追い詰められたひとは、自分の居場所=地図に無い場所を追い求めるのです。直人が見つけた「地図に無い場所」とは、自分だけが知っている自分だけの居場所なのです。地図にない場所とは、誰にも知られていない、自分しか知らないー誰も自分を否定したり攻撃したりしないー自分の居場所なのです。


で。
安藤ゆき著の「地図に無い場所」。
私立中学受験したら進学校に合格したけど、そこがピークだった少年を主人公にしたお話し。んー。これがまぁ、うちの大学生息子と重なる。自分は公立中学から公立二流進学高校へと進学して、三流私立医大にひっかかったので、いわば「世間的には落ちこぼれてないけど、その界隈では下にみられてる」な位置にいて、その場所で生きてきたわけです。家内は、小学校のときから優秀で真面目で、進学校から国立大学の無償奨学生の座を維持して、「何事も本気でやればどうにかなる、どうにかならないのは本気で生きてないから」みたいな、昭和ヒトケタ思考で生きてきたひと。そして大学生息子は、素地は悪くなくて、中学受験では進学校に合格したのだけれど、そこから伸びなかったんだなぁ…。まぁ、悠人っぽぃ感じ。世の中には、そんな子どもはたくさんいて、「小学校のときは、クラスの中心で明るくて自信のある感じだった。中学受験して良いところに合格したって聞いたけど、その後に見かけたら別人みたいに暗かった」な話はよくきく。これって、「役割を失った子ども」だと思うんだよねー自分が勝手に言ってるんだけどさ。
小学校時代に限らないけど、なんとなくその子の居場所,立ち位置,振る舞い,役割みたいなのがあるじゃん。RPGのジョブみたいなね。ドラクエやFFで、戦士,白魔導士,格闘家みたいなジョブがあって、そのジョブに合った行動をするように、子供たちは子供社会のなかで、自分の役割をしている。クラス委員長に選ばれる子,ギャグを言って面白い子,運動の得意な子,大人しくて本を読んでる子,粗暴な子っていうジョブがあって、そのロールプレイをしている。
「真面目で先生から信用されてる子≒アイツは先生に贔屓されてる」
「ギャグを言って面白い子≒アタマは悪いけど、面白いからバカにされない」
「運動の得意な子≒運動会,体育祭では期待される。学業がいまいちでもクラスでは中心にいる」
「粗暴な子≒悪人ではないけど、近くにいると楽しくないから避けたい」
とか、そういうRPGをしていて、それは言い換えると「誰かが描いた地図に自分の居場所が振り分けられている」んだよね。
これが、中学受験や高校受験をしていくと、「クラスでアタマの良い位置にいた個体の集合」になるわけで、「アイツ、アタマ良いよな」ってロールプレイをしていたのが、「クラスで普通」もしくは「クラスで下位」に振り分けられる。
運動が得意で特待扱いで進学したならば、「あの子、すっごい運動得意で、あの子がいるクラスは体育祭で優勝」って場所を地図で割り当てられていた子が、「普通に運動できる」とか「まぁまぁ運動できる」って場所に移動させられちゃう。
「空気を読めないけど悪い子じゃない」とか「忘れ物とか多くて班に迷惑をかけることもあるけど悪気はないからフォローしてもらえる」ってところに心地よく居座っていた子は、「アイツ、バカじゃね」「空気よめねー」「バカで迷惑なんだよ」って扱いになって、「自分は何も変わってないのに、居場所がなくなった」ってなったりする。
つまり、今まで持っていた地図に、自分の居場所が消えてしまう。
でまぁ、うちの子もー父親からみれば単に努力不足とみてしまうのだけれどー居場所がない時期があって、そのときに「地図にない場所」を読ませてみようかなと思ったけど、親が紹介するっていうのはちょっと違うなと思って読ませてない。大人目線で言わせてもらうなら、「居場所っていうのは自分で作るもの」だし、「自分は何も変わってないのにー」は「周りが成長して変化してるのに、お前だけ変わらんかったら、そりゃ居場所がなくなるだろ」って言いたくなるわけでね。「居場所がないとか言ってないで、居場所を作る努力をしろ」「周りが成長してるのに気が付かずに、『自分は変わってないのに周りが変わっていく』なんて愚痴でしかない」って言いたくなるわけですな。


安藤ゆきの「地図に無い場所」の結末は、ひとによっては「よくわかんないところに落ち着いたな…?」って思うかもしれない。でも、悠人は「何処(地図にない場所)」を見つけることはできなかったけど、自分の居場所を見つけることができたんだ。これって、アムロレイの言う「帰る場所がある。こんなに嬉しいことはない」に通じるものなんじゃないかなぁ。
ひとは「個々ではない何処か」に行きたくなったり、「帰れる場所」を求めたりしながら生きるしかないんだ。





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最終更新日  2024.05.11 23:35:49
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