本当の近鉄バファローズファンなら、この記事を見逃すな!
球団消滅から6年目となる2010年。2001年の大阪近鉄バファローズの優勝に貢献した小林繁さんの死に代表されるように、近鉄バファローズ関連のニュースも、次第に悲しい話題が増えてきたように感じますが、今回、このような記事を見つけましたので、更新休止中ですが特別に取り上げます。SPORTS EXPRESS元近鉄・モーやん、保護司でも粘りの指導 (読売新聞) 「モーやん」の愛称で親しまれた元近鉄バファローズの小川亨さん(64)(大阪府河南町)が、保護司をしている。 球団コーチや中学生チーム監督として若者を見てきた小川さんの信条は、「こちらが一生懸命なら、相手も応えてくれる」。現役時代、粘りのバッティングで鳴らしたモーやんが、立ち直ろうとする人たちに、正面から向き合っている。 2003年、社会貢献だと思って引き受け、10代~30代の7人を受け持った。 時に、大きな声も出す。 「何を考えてんねん。取れぇ」。ある保護観察の少年との初面談で、耳のピアスをしかり、母親にも、「こんなこと、やらせとったらあかんで」と諭した。 2週間に1度会ったが、少年は寝坊して遅刻するうえ、話したがらなかった。 小川さんは根気強く、「なんで遅れたんや。野球でも何でも、ルールを守らな前へ進まんやろ」と言い聞かせ、「学校行ってるか」「休みの日は何してるんや」「今度悪いことをしたら少年院やぞ」と話しかけた。 家も訪ねた。少年は徐々に時間を守るようになり、言葉も表情も柔らかくなった。母親も変化に驚いた。保護観察を終えるとき、「二度と俺のところに来るなよ」と満面の笑みで言い、少年は「ありがとうございました」と頭を下げた。 言ったのは当たり前のことばかり。「僕が彼のことを思って言ってることがわかってもらえたんかなあ」と振り返る。 地元のリトルシニアチームの監督を15年務めており、横浜ベイスターズの藤江均投手らを育てた。プレーの失敗は責めないが、やはり「時間を守れ」と言い、球拾いをサボる者を「一緒にやらんかい」としかる。つまり、保護司としての姿勢は、グラウンドと同じ。 「悪いことをした子も、野球少年も〈今より良くなりたい〉という思いは一緒。ぶつかれば、自然に相手の良いところが出てくる」と、小川さんは笑った。 ◆小川亨氏=宮崎商、立教大を経て1968年に近鉄入団。内、外野手。朴とつな人柄と粘り強い打撃で猛牛ファンの人気を集めた。75年の180打席連続無三振は、イチロー(当時オリックス)に破られるまでパ・リーグ記録だった。球団最多の1908試合に出場、84年に引退した。 ◆保護司=家裁や刑事裁判で保護観察になった人らの社会生活を見守り、指導するボランティア。社会的に信望があるなどの条件を満たした人が委嘱される。全国で約4万9000人(08年1月現在)。裁判員裁判で保護観察付き執行猶予判決が続き、保護司の仕事が改めて重要視されている。[ 2010年1月23日16時9分 ] SPORTS EXPRESSプロスポーツの選手が引退後、どのような仕事に就けばよいかと頭を悩ませる「セカンドキャリア」の問題。かつては、保険外交員に転職しただけで驚きの声が上がった事もありました。今回取り上げたのは、昭和50年代の近鉄バファローズの主力選手だった小川亨さんです。私としては何も申しません。素晴らしい社会貢献をされているのですから。何かを言うならば、社会貢献し続ける姿に敬意を表する言葉だけです。ありがとうございます。これからの活躍も願っています。魅惑の球団近鉄バファローズ