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March 22, 2016
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カテゴリ:興味を持った話題
※2つ前の日記の続きになります。

今年の1月にBS日テレで真田信繁と真田三代をテーマと
した番組が放送され、なかなか興味深いものでした。
片岡愛之助の歴史捜査
その番組の内容をご紹介したいと思います。
(以下、番組のまとめです)


江戸時代に沼田藩の家臣だった加沢平次左衛門が真田家の
歴史を書き記した「加沢記」。
それには真田昌幸の暗殺計画の詳細が記されている。

まず家臣を通じて、小県郡国衆の室賀正武に話を持ちかける。
武田氏の時代は真田と室賀は小県郡の国衆同士だったけど、
この時点では真田の勢力が大に。

昌幸の暗殺がうまくいけば小県郡をそっくり室賀にやると
約束し、昌幸の領地を狙った室賀は虎視眈々とその機会を
うかがう。

そんな折、室賀は上田城での囲碁の会に招待される。
昌幸に近づける千載一遇のチャンス。
室賀はこの会で昌幸を暗殺しようと決意する。

室賀は昌幸を油断させるため、わずかな供まわりだけで
上田城に行く。
囲碁をうちながら暗殺のタイミングをうかがっていたが、
そのとき殺されたのは昌幸ではなく室賀正武であった。

昌幸は室賀が自分の命を狙っていたことを知っていた。
昌幸は以前から室賀の家臣たちを調略してあり、情報は
昌幸に筒抜けだった。
そして室賀を返り討ちにした。

家康の昌幸暗殺計画は失敗に終わった。
領地をめぐる確執の果てに、家康から命を狙われた昌幸。
「家康を主君と仰ぐものか!」と吐き捨てるように言った
と伝えられる。


さて、現在の長野県上田市は真田家発祥の地であり、昌幸が
知略の限りをつくして守り抜いてきた地。
ここには守りを固める拠点として、真田家ゆかりの城が
いくつも存在した。

城郭研究家で山城研究の第一人者である宮坂武男さんに
インタビューをしました。
宮坂さんは40年にわたり長野県内の3000余りの山城を、
巻き尺で測って歩いて現地調査調してきました。

巻き尺で測ったデータをもとに山城を絵で復元。
戦国時代の山城の秘密に迫る資料として高く評価されてます。
(番組で一部紹介されましたが本当に素晴らしい復元図です)
「その山城の中でも真田家の本城は見事なものだ」と番組で
宮坂さんはコメントしていました。

また上田城での現地調査に同行した歴史学者の平山優さんは、
次のようにコメントしていました。

「近年の新たな発見で、上田城は真田が造った城ではなく、
 徳川軍が総力をあげて造った徳川直轄の城。
 真田の領地に造ったので昌幸に城を預けたと考えられる。

 天正壬午の乱で、陣取り合戦の最前線だった上田。
 上杉に対抗するために城が必要と、昌幸は家康に上田城を
 造らせた。

 千曲川の支流を天然の掘とした断崖に築いた上田城。
 昌幸は徳川の力を借りて大要塞を労せずして手に入れた、
 ということになります。」

番組での話はまだ続きますが、いったんここで切ります。

  • 名古屋城の石垣も見事ですね.jpg
こちらは桜が満開の名古屋城の石垣とお掘です。(以前の画像です)
まもなくこの季節がやってきますね。






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Last updated  March 22, 2016 05:04:18 PM


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