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June 16, 2021
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カテゴリ:気になるTV番組
2021年NHK大河ドラマ 『青天を衝け』 の感想です。

今話で私の印象に残ったのは前半の、尊王攘夷を掲げて
挙兵した天狗党の、あまりに惨めな末路でした。

自分の実家である水戸藩の藩士たちだから、徳川慶喜
(草彅 剛さん)は彼らを引き取って、せめて武士らしく
切腹させてやりたかったでしょう。

しかし天狗党がそれまでに進軍途中の村々で行ってきた
数々の略奪・放火・殺戮などは、天狗党征伐総督の田沼
意尊には到底許せるものではありませんでした。
実際にはドラマ以上の過酷な処罰がなされました。
ドラマではあれでもかなり抑えて表現したようです。

そんな重たい空気が後半の渋沢篤太夫(吉沢 亮さん)の
奮闘話で一変したように感じました。

篤太夫が自分から主君・慶喜に願い出て歩兵取立御用掛
として備中に出向いたものの思うように事は進まず、でも
それが見事な流れで展開していきました。

失敗→反省→方針転換、時間をかけて人間関係の構築→
突破口ができ、それを活用することを思いつく→邪魔者と
対峙して排除→大成功

といった感じでしょうか。
血洗島にいた若いころは幾度も代官の利根に苦汁をなめ
させられ、一橋家の家臣になっても自分の力では利根に
対抗できなかった篤太夫でした。

でも逆に、自分がさんざんやられてきたその悔しい思いが
あったからこそ、場所と相手を違えて、代官を黙らせ思い
通りに動かす、といったことができたのでしょう。
「江戸の敵を長崎で討つ」ということですね。

多くの人にあると思うけど、「あの時の苦い・辛い経験が
役に立った」、そんなストーリーだと思いました。

大河ドラマ館も2か所でオープンしています。
※埼玉県深谷市  こちら   ※東京都北区   こちら

※こちらも盛り上がっています ⇒  #青天を衝け
 ドラマ内のことが解説されてます  #青天ナビ


元治元年(1864)11月、武田耕雲斎(津田寛治さん)率いる天狗党・約1000名は
京にいる徳川慶喜を頼ろうと中山道を進軍していましたが、慶喜は天狗党の受け入れを
拒否、12月には自らの手で討つべく弟の昭徳とともに京を出発しました。
慶喜の密命を受けた渋沢成一郎(高良健吾さん)は天狗党の軍勢がいる越前の敦賀に
入り、耕雲斎と藤田小四郎(藤原季節さん)に慶喜からの密書を渡します。
天狗党は幕府の追討軍との戦いで疲弊しきっていて、耕雲斎は降伏を決意しました。



天狗党の降伏により渋沢篤太夫(吉沢 亮さん)たちは戦うことなく戻りました。
成一郎と一緒に単身赴任生活を送る篤太夫は妻の千代に文をしたため、出世したこと、
夜は上役の接待によく同行すること、布を送るから足袋を仕立てて送り返して欲しい、
娘を大切に育てて欲しいなどを文に書いて、しばしのやすらぎを感じていました。



京の二条城に天狗党征伐総督の田沼意尊(田中美央さん)が来て、天狗党の処罰に
ついて徳川慶喜(草彅 剛さん)との話し合いが持たれました。
慶喜は耕雲斎らを引き取りたいと要望を出しますが田沼はそれを拒否、公平な処置を
するということで自分の側に天狗党を引き取ります。
これまでの戦いで天狗党の狼藉や破壊を見てきた田沼の怒りは凄まじく、彼らを劣悪な
環境に監禁し、耕雲斎以下352名を斬首という過酷な裁きを下しました。



将軍家も諸藩も攘夷は無謀であると悟り、諸外国の力を利用しようと考えました。
薩摩や長州はイギリスと手を組み、将軍家はフランスと手を組んで、造船所や製鉄所を
建設する準備に入っていました。
勘定奉行の小栗忠順(武田真治さん)は、将軍家を強くするためには軍事だけでなく
財政や経済が重要だといち早く気づき、将軍・徳川家茂(磯村勇斗さん)にフランス式
陸軍を作ってはどうかと、さらには軍備調達のためにコンパニー設立を提言しました。



薩摩や公儀に侮られぬよう歩兵隊を作りたいと考えた篤太夫は主君・慶喜に提言し、
軍制御用掛・歩兵取立御用掛の任をもらって備中の一橋領に入りました。
代官の稲垣練造に兵備充実の旨を伝えて領内の次男三男を集めさせ、入隊して日の本の
ために尽くすことへの意義を熱く語りました。
しかし忙しい中を無理やり呼び出された彼らは、突然やってきたどこぞの若造の話に
耳を傾けることもなくさっさっと帰ってしまい、志願者は一人もいませんでした。



伝蔵との話し合いで「皆それぞれ大変なのだ」と気が付いて反省した篤太夫は方針を
変え、寺戸村にある阪谷朗廬(山崎 一さん)の塾に入り、何日も通って塾生たちと
共に学び、剣術の稽古をし、山や海にも一緒に出かけ、交流を深めました。
さらに篤太夫は阪谷から「互いの利」という開国の意義を学びました。
京に戻る日が近づいたある夜、皆で酒を酌み交わしていたら篤太夫の元に、自分も
京に行って一橋家で奉公をしたいと申し出る者が現れました。
何かを思いついた篤太夫は、彼らにそれを書面にするよう頼みました。



後日、篤太夫は阪谷の塾生たちが書いてくれた志願書を持って庄屋たちを呼びつけ、
この界隈で志願者が誰もいないのはなぜだ?と庄屋たちを問い詰めました。
するとそれは代官の稲垣練造(おかやまはじめさん)のせいだとわかりました。
篤太夫は稲垣を呼びつけ、自分は殿のお役にたてなければ命がないと言い、続けて
篤太夫が「所領の村人に殿の志を薫陶すらできぬ器の代官も同罪」と言って扇子で
稲垣の首が飛ぶしぐさをすると、稲垣の顔色が変わりました。
そして翌日、篤太夫の元に志願書を持った若者たちが続々と集まってきました。



慶応元年(1865)横浜にイギリス公使のハリー・パークスが来日し、日本での覇権を
狙うイギリスは長州と手を組んで幕府を倒そうと考えていました。
将軍・家茂は第二次長州征伐のために出陣することとなり、御台・和宮には京の土産に
西陣織を約束し、天璋院(上白石萌音さん)のところに挨拶に来ました。
家茂は「万一自分になにかあったときは」と天璋院に耳打ちして退室していきました。



備中から大勢の若者を連れて戻った篤太夫は殿・慶喜から褒美をもらい、そして篤太夫も
慶喜に備中で得たいくつかの土産を披露しました。
篤太夫は、兵が増えた分だけ兵を賄う金も入用になる、それを公儀から賄うのではなく
自分たちで金を作る手立てが必要、天狗党はそれを怠ったからあのような結果を招いた、
志と懐は両方必要、自分は備中を廻って利を得る道を見つけた、と慶喜に提言しました。



篤太夫はさらに慶喜に、自分は実は最初は腰掛のつもりで仕官をしていた、しかし今
この壊れかけた日の本を再建できるのは殿しかいない、だからこの一橋家をもっと強く
したい、自分は軍事よりも財政の土台をつくるほうが得意である、と訴えました。
そんな篤太夫の話を聞いて慶喜は父・斉昭も似たような考えであったと父を思い出し、
斉昭が百姓を「お百姓さま」と呼んで尊んでいたと言いました。
意外な話に篤太夫は思わず斉昭のことを「石頭の風神雷神のようなお方と思っていた」
と口がすべったものだから・・



篤太夫の二度もの失言に、殿の側近であるこのお二方・黒川嘉兵衛
(みのすけさん)と猪飼勝三郎(遠山俊也さん)も慌てふためき、
篤太夫をたしなめましたが・・



慶喜はそれがなぜか可笑しくてしかたがなくて、笑いがこみあげてきました。
平岡円四郎を失い、天狗党のこともあった慶喜の、久方ぶりの笑い声でした。
そして慶喜は、篤太夫が今は本気で一橋家のために働くことを確認し「ならばやってみよ、
お主の腕を見せてみよ」と提言を受け入れました。
この瞬間、篤太夫の脳裏には「おめえはおめえのまま生き抜け、必ずだ」と助言をくれた
亡き円四郎の言葉がよみがえりました。






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Last updated  June 16, 2021 08:06:53 PM


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