カテゴリ:ちりとてちん
毎週答案に丸付けをして、赤ペンでぎっしりアドバイスを書き込むもの。 うちが中学生の頃に合わせるように始めた、在宅でできる仕事でした。 引退したのは弟が就職した年。 母の収入のおかげで、うちたち姉弟は大学に行くことが叶ったと思います。 約20年ほど続けた仕事で、15年目の節目には、会社から勤労賞をいただきました。 セレモニーのようなものを開いていただいたのですが、 その時贈られたのは、母の「人生の軌跡」という履歴年表でした。 前もって自分で作った年表を提出していたのを、製本していただいたものです。 見せてもらいましたら、お見合い写真のような綺麗な装丁の中には、 生年から学業の履歴、就職、そして結婚、出産・・・と まさに母の人生が詳しく書き込まれていました。 ところが出産の項目以降は、長女出産、長男出産、長女入園、 長女小学校入学、長男小学校入学・・・ 母のではなく、うちたち子供の履歴ばかりがズラリ・・・・。 「お母さん、これうちたちのことばっかり・・・」と驚くと、 「そうよ。あんたたちの成長こそ、お母さんの人生そのものなの」 ときっぱり。 大事に見守りながら育ててくれた母の、大きな愛を感じた瞬間でした・・・ ![]() 「見つけてしもたんですもの。自分のなりたいもの」(喜代美) ひぐらし亭の高座に上がり、愛宕山をかけることができた喜代美ちゃん。 しかしその直後、引退宣言。自分がなりたいものを、ついに見つけました。 おジイちゃんの命日 体調が落ち着いた喜代美は、晴れてひぐらし亭の高座に上がることに。 奇しくもそれは10月11日、亡き祖父正太郎の命日だった。 たくさんのお祝いの花で埋まった楽屋。 鏡に映る着物姿の喜代美ちゃんが綺麗でした。絵的には、草若師匠が亡くなった直後と同じで、 おジイちゃんの名言がいずこからともなく流れてきたと思ったら、 振り返った先に、正太郎おジイちゃんが・・・・。 何も言わず、ただ嬉しげに孫を見るまなざしは、とてもとても優しいものでした。 喜代美ちゃんには、かつておジイちゃんに言われた言葉が心に響きます。 「研いで、出てくるのは、その塗り重ねたもんだけや。 意を決したように頷く喜代美ちゃん。 なりたいものにもう気づいている、決意の表情でした。 「やかましゅうてやってまいります、その道中の陽ォ気なこと!」(若狭) 高座で見事に「愛宕山」を演じる徒然亭若狭。その脳裏には、 母親の糸子との思い出の数々がめくるめく去来する。 お守り袋を作ってくれた母、そば弁当をつくってくれた母、かわらけ投げをしてくれた母、 いつもいつも、自分を笑わせてくれた母・・・。 いやがおうもなく、糸子母さんの素晴らしさ、面白さそして母の偉大さを 再確認させてくれる回想シーンでした。すべて「愛宕山」と重なる第一週のエピソードです。 一番じわりと来るのはやはりかわらけ投げ・・・ 見事に自分が最初に出会った落語を演じきった徒然亭若狭。見事でした! 会場から万雷の拍手を受けますが・・・・ 「本日は・・・私の最後の高座にお付き合いいただいてありがとうございました」(若狭) しんと静まり返った会場に、引退宣言。涙をこらえた感無量の声。 ![]() 誰も予期しなかったいきなりの引退宣言に、驚く周囲の人々。草々は動転。 草原は冷静に若狭の愛宕山の会心の出来を褒めるが、引退はもったいないのではという。 和田家の面々も全員、若狭の引退を止めにくるが、喜代美は糸子にまず、 「お母ちゃんみたくなりたくないの」というセリフ。親にとってはひどく傷つく言葉です・・・。 ![]() 大阪へ出てくる前と、全く正反対の思いを持つにいたった喜代美ちゃん。 まさにそんな感じの、母と娘の物語でした。 最終回はいよいよ出産・・・・受け継ぐことがテーマのちりとてちん、 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ちりとてちん] カテゴリの最新記事
|
|