テーマ:日本人のルーツ(527)
カテゴリ:歴史
日本最古の王朝、【天の王朝】は、約3500年前、フェニキア人、エブス人、ヒッタイト人らが タルシシ船で渡来し国東半島へ製鉄基地を築いて『殷文化圏』に鉄製品を供給し始めました。 続いて3100年前、国東半島重藤の製鉄基地が発展して殷の東表国となり彼らフェニキア人らは 宇佐八幡を都とし、タルシシ船の船長エビス王家のクルタシロス1世を初代王として 東表国(豊日国)を建てました。これが、わたしたちの国の第一王朝の始まりです。 日本書紀上、日本初の天皇とされている神武天皇の前に既に1000年間も続いていた王朝でした。 この時、先住民である港川人・オロッコ人・ツングース(アイヌ人)・アエタ族らの縄文人 を不必要に殺さず、できるだけ生かして新文化の建設に使役しました。 BC213年の秦始皇帝による【焚書坑儒】以来、ユダヤ北朝系(イスラエル10部族)から 南朝系となったガド族(孔子・孟子の子孫たち/魯人・河南省南陽・宛の製鉄族)は、山東半島 から遼東へ逃れていましたが燕王公孫氏(南朝系イッサカル族)の一部勢力と連合して移動を開始 BC86年、南朝系亡命者は、連合移民団リ-ダ-・猿田彦命(初代)/牛頭天皇(スサノオノミコト) に率いられて弥生文化の盛んな博多へ渡来し、旧伊勢国(イスラエル人の国/吉武高木遺跡) を建て、製鉄所をつくり鉄鐸・銅鐸文化圏を創始しました。 彼らはBC1100年以降、出雲地方に 栄えていた苗族(弥生農民)と鉄製農具を作っていたオロチョン族をともに征服して新しい支配者 となり、彼らもフェニキア人をよき教訓として先住民の苗族やオロッコ人・低身長のアエタ族と共存・協和して出雲王朝を建てました。こうした共存した暮らしが【座敷わらし】や 【河童伝説】または製鉄では【村の鍛冶屋】【エビスさんと大黒さん】などのユーモラスな 言い伝えが生まれたようです。鍛冶の火吹き男から【ひょっとこ】、鍛冶師は、煙で眼を 悪くするため一つ目小僧などもその類でしょう。 旧伊勢国王猿田彦命2世は、イスラエル神(バアル神)を祀る太陽神殿を前原市(平原王墓遺跡) に築き、八咫の鏡・鉄剣・勾玉などの“三種の神器”を奉納しました。 猿田彦命の兄弟は、鉄鐸・銅鐸文化を持って東遷し、紀志伊(紀州・志摩・伊勢を合わせた地域) 志摩半島(三重県)に伊雑宮を建てています。猿田彦兄弟が東遷して来た紀州熊野には 縄文時代から古い歴史がありました。 まず、BC4000~2600年頃、縄文人(港川人・オロッコ人・アイヌ人)たちは熊野勝浦を船出し 太平洋を越えて南米(エクアドル)へ渡っています。その遺跡は現在、和歌山県の勝浦町に 補陀洛山寺として残され渡海上人の墓などが祀られています。 続いてBC219年、中国山東省を船出した徐福(穢族)の船団が紀州田子浦に上陸し 熊野坐神社の文化圏に参入しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/02/06 11:24:35 PM
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