テーマ:日本人のルーツ(527)
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ネアンデルタール人は、3万5千年前に姿を消したとされている。 しかしながら、中央アジア、西アジアにいた一部は、その血統を 現代人の先祖に伝えているようです。 ネアンデルタール人の性格を具えていながら現代人の性格も兼ね備えている 中間種の骨が発見されたのは、ことごとく中央アジアと西アジアからでした。 ★ケバラン洞窟で、ネアンデルタール人の成人男子の化石が発見されています。 この化石には「モシェ」という愛称がつけられましたが、 この化石が発見された層ではムスティエ文化型のフリント石器が発見され、 これは6万年前と測定され、このケバランの石器文化は、 パレスチナのナトゥーフ文化に引き継がれます。 ★パレスチナのカルメル山にあるタブーン洞穴で発掘された女性の骨格は ネアンデルタール人の身体の上に丸くてずっと現代人的な頭がのっている という明らかに混成的なものであったとされます。 ★北部イラク山岳地帯のシャニダール洞穴では4万5千~4万4千年前の 顔の上部全体が現代人的風貌をもつネアンデルタール変種が見つかっています。 その近くのスリフル共同墓地から出土したものはネアンデルタール人よりも クロマニヨン人の近接し、また現生人誕生の前夜といえる まで進化したものであったそうです。 ★中央アジア周辺でも西アジアにあたるアームッド洞穴では 頭はネアンデルタール人でありながら、顔はホモ・サピエンスという 古いネアンデルタール人と現代人とのつながりを示すものが発見されています。 しかもその年代は、4万年より前であるとされています。 ★クリミヤ半島の突端、スタロセリエ洞窟でも 1~2才の子供が埋葬されているのが発見されました。 この子供の骨格を研究した結果、現代人の【人間】型に属するが 依然として歯の大きなこと、頬骨が太いことなど、多分にネアンデルタール人の 特質を残しており、ネアンデルタール人とクロマニヨン人(ホモ・サピエンスの一種) との中間的位置をしめるものとしています。このようにして確かめられた現生人類の 祖先はほとんど現在のヨーロッパ人的なものであるから、学者は【ユーロポイド】と 名付けました。 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの過渡的な遺骨が見いだされたタブーン洞穴や アームッド洞窟は西アジアで、子供の遺骨を見出した西トルキスタンは中央アジアです。 ヨーロッパ人的であるユーロポイドでありながら、過渡期的人骨が発見されたのは、 ことごとく中央アジアと西アジアからであって、ヨーロッパからではありませんでした。 なぜ、このように、西アジア、中央アジア地域でのみヒトの進化がありえたのでしょうか。 それは、この時期、リス氷河期には、この地方では気候が湿潤化し、 広葉樹林、落葉樹林 多くの湖や河川、多種多様の食糧源に恵まれ、人類の進化に最も適した地域だからでした。 中央アジア(トルキスタン)は、ユーロポイド(ヨーロッパ人種)と モンゴロイド(モンゴル人種)の2大種が分布した境界領域をなしていますが、 古くはトルキスタンの殆んど全域がユーロポイドによって占拠されていて、 ユーロポイドの厚い人種的基層が存在しました。 そのなかで、シベリアでもネアンデルタール人とホモ・サピエンスの過渡期の 型からホモ・サピエンスにまで進化したものが、バイカル湖にそそぐ アンガラ川沿岸のマルタで発見されました。 これは、現生シノ・モンゴルの骨格に似ていることから、学者は【モンゴロイド】と 名付けました。その他、ウラルの東、天山の北にもモンゴロイドを見出し、 これは現生トルコ人の骨格に似ていることから、【ツングース的モンゴロイド】と 名付けられました。これと区別するためにマルタの人骨を 【シノ・シベリア的モンゴロイド】としました。 何故ここにも人類のこのような進化が行われたのでしょうか。 その時期にあっては、アルタイ山脈、サヤン山脈、ヤブロイ山脈の北面には、 未だ氷原がまだらに残って寒気は厳しかったのですが、 その南面には樹林が茂り、その下草が萌え温暖であり、その南には湖沼を 連ね緑に囲まれた東トルキスタンという盆地があったからでした。 したがって、この時期では、東トルキスタンの北壁と東トルキスタン、中央アジア、 西アジアは人類進化に絶好な環境に共通する一つの世界をなしていたのでした。 この辺りは、後に日本人のルーツにあたる月氏、チュルク、スキタイ・サカなどが 躍動した地域でもありました。 では、なぜ、他の地域の人類が、この進化に立ち遅れたのでしょうか。 シベリアの中央高原が東西を隔離しているオビ河流域は氷原で、これも隔壁になりました。 ドン河とドニェプル河の線には未だ氷河が残っていて、それはアルプスに連なる欧州の 山脈におよんでいました。その環境がホモ・サピエンスの出現をシベリアの南側・ 東パキスタン中央アジア・西アジアの広地に限ってしまったのでした。 日本列島には、旧石器文化の3万年前から1万4千年前頃に、鋭い黒曜石や サヌカイトの刃物に柄をつけた文化的な工具をもって彼らが渡来しています。 この時代の石器はヨーロッパの旧石器文化と共通であって隣国の中国大陸の 文化とは似てないといいます。ヨーロッパからやってきて日本列島で誕生した 旧石器文化と考えられています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014/01/10 08:05:29 AM
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