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ピカルディの三度。~T.H.の音楽日誌/映画日誌(米国発)

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Oct 23, 2009
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 最近なんとなく気になってることのひとつ、「地域生産地域消費」。

 食や環境に関するドキュメンタリー映画もいくつか観たし、新聞や雑誌でもよく見かける。環境への負荷を減らすために地元で採れた食物を購入しよう。合言葉は、Think globally, eat locally! みたいな。

 生産地と消費地が遠くなればなるほど長距離輸送による環境汚染が心配されるので、半径250マイル(=400キロメートル)以内で収穫されたものを食せよ、というのが一応の目安らしい。
 皮肉なことに、アメリカの食生活にもはや季節感などない。食料品屋の店頭には(南半球から取り寄せた)季節外れの野菜や果物が平然と並ぶ。
 ここだけの話、僕だってときどき日本から食材を密輸してるから、人のことなど言える立場にはないけど。

 要は自分自身への挑戦。自給率の高い農業国アメリカの場合、地産地消はちょっと努力すれば不可能ではない。地元のもの、季節のもの、充分においしいものが食べられるはず。

*****

 で、強引ながら、この概念を文化/芸術について当てはめてみたい。(いちおう、ここ、音楽ブログのつもりなんで……)

 例えば、著名オーケストラの出張公演。すぐ地元に立派なオケがあるのに、その定期にはほとんど行かずに、海外の著名オケが来たときだけ(高額であっても)ありがたがって聴きに行く。
 んでもって、「いやぁー、やっぱ本場ヨーロッパの音楽はすごいねー」とウンチク大合戦。

 自分も心当たりがある。しょせん似たような曲しか演奏しないのに、聞き比べするほど俺の耳って肥えてたっけ?と自問自答してみる。
 それに、21世紀にもなって、いまだに「本場」ヨーロッパとか言ってせっせと半永久的に称え続けるのもなんだかなー、とも思う。日本もアメリカもすごく水準高いのに。

 逆に、せっかく「本場」を旅して名門オケの定期を聴きに行こうとしても、彼らは遠征中で不在だったりする。しかも「遠征先は日本」と聞かされた日にゃ、ますます微妙な気持ちになる。

 なぜいきなりこんなことを語ってるかというと、最近なんか無性にオケを聴きたいと思ってるのに、肝心のNYフィルが今秋ほとんどニューヨークにいないから。その代わりにロンドン響とかの欧州軍が攻めてきている。
 ここであっさり浮気してロンドン響を聴きに行ってもいいのだろうか。切符がお高いというのに。
 いや、そんな値段うんぬんに関する戯言なぞ、崇高たる芸術の神の前では口にすべきではないのか。

 クラシック音楽って、その閉鎖性、敷居の高さがまた魅力でもあるのも事実。だけど、先日乗った本番にて、モーツァルトのピアノ協奏曲の超かっちょよいカデンツァを目の前で披露されて以来、個人的に今いろいろ考えてるところ。「本場」とか「ホンモノ」のクラシック音楽、の定義について。






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最終更新日  Oct 23, 2009 08:53:32 AM
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