昨日はフッガー家のプラスの顔を紹介しましたが、今日はその莫大な富を得たもう一つの素顔を。
アウグスブルクにフッガー一族が登場するのは、織工として農村から出てきたハンス・フッガーが始まりです。 その息子ヤコブの時代に、まずはヴェネチアとの交易で利益を得ました。 その頃ヨーロッパでは、すでにローマ教皇をトップにした支配網が組み上げられていました。 しかし16世紀になると、イギリスやフランスでは王の中央集権化が進み、教皇の権威も徐々に衰退していきます。 ただ、各地の諸侯の力が強く中央集権化が進まなかったドイツでは、依然 教皇の支配力は強く、ドイツから送られる金銭は教皇の貴重な財源になっていました。 交易で富を築いたフッガーは金融業にも進出し、政治・宗教にも深く関わってきます。 そして銀・銅の発掘権も手に入れて、ますます力をつけていきました。 フッガー家は高利貸しとして、ハプスブルク家やローマ教皇、神聖ローマ皇帝にも多額の金銭を貸し出します。 サン・ピエトロ大聖堂の改修資金を借りたローマ教皇でしたが、その頃 財政難だったローマ教皇庁では高額の利子さえも払えません。 そこで、苦肉の策として考え出されたのが「贖宥符(しょくゆうふ)」。 それは、「この贖宥符を買うことで過去の罪が消され、天国へ行ける」というもの。 ドイツで売り出された贖宥符の売上の半分はフッガーへの借金返済に使われました。 (シェイクスピアの「ベニスの商人」に出てくる高利貸しのユダヤ人゛シャイロック"は、もしかしてフッガー家がモデルなのでしょうか? ・苦笑) * * * この腐敗・堕落した教会を改革しようとした運動が、゛マルティン・ルター"で有名な「宗教改革」です! ローマ教皇の大規模な贖宥符の発売に反対した神学教授ルターが、ウィッテンベルク教会の門扉に「95ヶ条の質問状」を掲げたことがその始まり。 ルターは、「聖書を唯一の典拠として信仰の問題を決定すべきである」と主張しました。 ローマ教皇は激怒し、ルターは「アウグスブルク」でその使節団から尋問を受けたのだとか。 その場所が、フッガーの屋敷でした。 その後 長年に亘って続いた宗教・政治権力抗争で内乱状態だったドイツ。 内乱終結の「アウグスブルクの宗教和議」により、 プロテスタントもカトリック教会と同様に、信教の自由の地位を保証されることとなったのです。 「アウグスブルク」と「フッガー家」は、「宗教改革」とは切っても切れない関係なのですね~。^^ これが、('08.10.29日記)に書いた"宗教と音楽との関わり"や、 ('08.10.26日記)の映画鑑賞「ブーリン家の姉妹」にも描かれた"イングランド国教会"の誕生にも影響を与えるのですから、私的には非常に興味深い歴史です。^^ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.18 21:55:03
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