カテゴリ:旅行記 中欧8ヶ国 '12.9月
「昨日は12時間も運転したんだ~、もう少し寝かせてくれ。」
朝食の時間が気にはなったが、まだしばらく寝かせておいてあげようと、私は音を立てずに身支度を済ませた。 「ちょっと散歩してくるから。」 耳元に小声で告げる。 「うん、気を付けて。 あ、ユーロからマルカに両替しといて。」 寝ぼけてるわりには しっかりしている。 * ふふふ、これで写真が撮れる。(笑) 翌19日の朝8時過ぎ、私はひとりサラエボの街へと飛び出した。 サラエボの主な見どころは、旧市街にあるバシチャルシァという職人街に集まっている。 映画などによく登場する水飲み場・セビリもここにある。 そこに無数の鳩がたむろする景色は、まさにお馴染みのサラエボだ。 私もこの場所に立って、改めて自分の居場所を確認できた気がした。 そして、感じた。 世界の中心は、いつも私の足元にあるんだってこと。 ニューヨークでも東京でもない、その時 世界はサラエボを中心に回っているような気がした。(笑) あまり遠くまで行くと迷子になりかねないので、ホテルの周囲をぐるっと一巡。 ひょいっと奥まった通りを覗いたり、するりと電車の合間をすり抜けたり。 中東の香り漂う古い煉瓦と石畳の街並みは、決して綺麗でも斬新でもないのに不思議とモダンな感じがした。 一見 それとは対角線上にありそうなのだが、何故かモダンだ。 そのモダンさにオリエンタルなミステリアスさが加わって、絶対に他の街では醸し出せない魅力を放っていた。 それも、さりげなさがいい。 しかし、これも現実だった。 街のあちこちには20年近く前の傷痕がそのまま残されている。 私は立ち止った。 前日の夜も、ホテルを探しながらこの前を通った。 ムラトさんは、「ほら、picchukoも知ってるだろ? 内戦のこと。 ごらん、セルビア人はとんでもない奴らだ。」と言って、銃弾の痕を指さした。 でも、私は違うことを考えていた。 それは、ユーゴスラビアという国が生まれた時のこと。 あまりに遠い昔のことは知らないが、 この辺りは、かつてオスマン帝国やハプスブルク家に統治され、また第二次世界大戦下ではドイツを中心とする枢軸国に占領分割されて、 その辛い厳しい歴史を乗り越えて、南スラヴ人という共通意識の下、ユーゴスラビアとして統一を果たしたのではなかったか。 「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」というユーゴスラビアの誕生を、全員とは言わないが喜んだはずではなかったか。 みんなが「ユーゴスラビア人」だったはずだ。 そこに、どんな歯車の狂いが生じたのだろう。 一度は統一を果たしたものの、セルビア人もクロアチア人もボスニア人もお互い隣人以上にはなれなかったか。 そして、一番身近で理解し合えるのが隣人ならば、一番もめごとが起こるのも隣人。 仕方ないと言えば仕方ないけど、戦争しかなかったものか。 こんな傷痕は辛いなあ、めちゃくちゃ辛い。 私はつかの間、その銃弾痕に手を当てた。 だが、その泥沼化した民族間の争いに、人間というどうしようもない生き物の 必死でもがく姿が見えてきた。 その人間臭さに、なんだか惚れたような気がした。 ユーゴスラビア、いいんじゃない。 たぶん、本気でユーゴに惚れた。(笑) Google map<2012.09.19 Sarajevo> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.11.12 08:15:28
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