カテゴリ:旅行記 中欧8ヶ国 '12.9月
これは、ブダペスト行きの船が出るウィーンのライヒスブリュッケ船着場に貼ってあった地図だ。 (写真はクリックで大きくなる) ドナウの全容をじっくり眺めたのは、この時が初めてかもしれない。 『ドナウの旅人』を読んでたら、ドナウの旅人になりたくなった私は、 ウィーン滞在2日目に、ウィーンからスロバキアの首都ブラチスラヴァへ、 そして その次の日は、再び同じルートを通って、その先にあるハンガリーのブダペストまで船に乗った。 オーストリアでドナウ河を遊覧する場合、最も有名なコースは世界遺産にも登録されているヴァッハウ渓谷なんだそうだ。 渓谷の美しさは言うまでもなく、川沿いに見える修道院や古城を巡るのも良い。 そこはウィーンから西、列車で1時間ほどの街メルクか、もしくはクレムスから遊覧船が出ているらしい。 だが この時の私は、ウィーンからドナウを上るのではなく、流れに沿って下りたいと思った。 輝さんの本を読んでたら、、ドナウ河の流れが人生と同じように思えてきたからだ。 旅の前半、ここに来るまでに すでに私は、さらに下流のセルビアの二つの街でドナウを見ていた。 セルビア北部の街ノヴィ・サドと、首都ベオグラードでだ。 この先に、あのドナウが待っているのか。 感慨深かった。 例えば、今の私をベオグラードのドナウとしよう。 だとすれば、人生の岐路に立つこの時に自分の人生を振り返り、再び追っているような錯覚をした。 事実、3000km近くあるドナウ河は、ベオグラードでやっとほぼ半分なのだ。 私にも人生が80年与えられるならば、ちょうどベオグラード辺りが今の私の立ち位置になる。 ウィーン、ブラチスラヴァ、ブダペスト、ノヴィ・サド、そしてベオグラード。 それは、10代最後から20代前半、20代後半、30代はじめ、30代半ば、そして そろそろ40才、まさにそんな表情のドナウだった気がする。 ウィーンでは気付かなかった大河の母性を、ブラチスラヴァからブダペストへ行く途中で感じたことも、そう考えると納得できる。 ドナウの流れは、ドイツの黒い森で生まれた後、僅かに南下しながら東へ東へと向かい、 ハンガリーのヴィシェグラードでほぼ直角に折れて、南へ向きを変える。 そして、ベオグラードまで降りてきたところで、再び東へと進路を変えていく。 それから後もくねくねしながら、最後は3つに分かれて黒海へと注ぎこむ。 いや、それから後の方がくねくね度合いが大きいのも、人生後半戦、そう甘くないよと語っているようで興味深い。 何倍もの広さになった川幅は、それまで呑みこんできた濁りをどっと押し流す為だろうか? 最後、進むべき道が3つに分かれているのも、人生の果てに待ち受ける天国か地獄かそのまた中間か、、、 まぁ、そこまで考えると怖くなったりもするのだが。(笑) とにかく、今、私はベオグラードに立っているはず。 ベオグラードは、ドナウがもう一つの大河サヴァと合流する街だ。 それじゃぁ、私にとってサヴァ河は一体何なのか誰なのか、それはまだ分からない。 もしそれが見つかれば、まさに人生ドナウ河というような気がして、、、 この時にドナウと出会えた奇妙な縁に、これから先の大きなくねくねを恐れながらも期待している。(笑) ウィーン(オーストリア) ブラチスラヴァ(スロバキア) ブダペスト(ハンガリー) ノヴィ・サド(セルビア) ベオグラード(セルビア) あ、ムラトさんは私のサヴァ河ではないらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.11.19 10:51:11
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