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カテゴリ:翻訳
昨日は英文法を介在させないという自由さに感動して
その勢いのまま記事を書いてしまいましたが、 新しいことに取り組むというのは 新たな課題にぶつかるということでもあります。 英文法、英文の構造を生かした訳文を書いていると、 多少英文の情報を読み取れていなくても 訳文を作れてしまいます。 極端に言えば、英文の内容を理解していなくても 単語に訳語を当てはめて、英文の構造に従って 日本語を書いていけばいいのですから。 そう考えると、最近課題を仕上げる時間が短くなっていたのは 「英文の情報子を把握する」という作業に慣れたという だけのことなのかな、という気がしてきました。 トライアリストに入会する前は 「英文を読んで、その構造を生かして訳文を作る」 だったのが、入会してからは 「英文を読んで、情報子を把握して、英文の構造を生かして訳文を作る」 に変わっただけ。 結局、できた訳文に変化はありません。 情報子を把握するのは必要なことではあるし、その作業に 慣れたことは無駄なことではないと思うのですが、 英文の構造を生かした訳文を作る過程では 情報子を把握してもあまり役に立たなかった気がします。 情報子の把握は「英文法、英文の構造を介在させないで訳文を作る」 というときに初めて生かすことのできるものだと感じました。 (といっても、わたしはまだ把握した情報子を訳に反映させることが できないのですが^^;) で、今日、ふたたび英文法を介在させないで 訳文を作ってみたのですが・・・。 これが、なんとも難しい。 原文の情報を把握できていないと訳文を作れないのです。 一文字たりとも。 ところが、把握できるとすぐに訳文が生まれてきます。 (すらすら、といかないのがつらいところです) 原文の情報を把握できているかできていないか、 その違いが歴然としているのです。 これは新しい感覚でした。 違う見方をすると、英文の構造を生かして訳文を作っていたときは 英文の情報を読み取れているのかどうか 正確に判断できていなかったかもしれません。 読み取れていてもいなくても、 それに関係なく訳文を作っていくのですから。 英文の構造を生かして訳文を作るのは難しかった。 英文の構造を介在させないで訳文を作るのも難しい。 でも、この2つの難しさは明らかに違います。 前者は拘束衣のなかでもがいているようなもので、 後者は足を伸ばし手を伸ばし、ときには転げまわっているかんじ。 どっちも楽ではないのだけど、 どっちが好きかと言われれば、 後者のほうが、解放感があって好きです 人気ブログランキング 応援お願いします ^^ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 9, 2009 06:09:41 PM
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