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パインケイコの部屋☆備忘録

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2011.04.18
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私たちにとって大切なもの、
安心して暮らせる土地、
安心して吸える空気、安心して飲める水、
安心して食べられる野菜や魚、

「夢だったらいいのに…」って思うけれど、
夢じゃないんだもの。

原発はいらない。
原発はなくても大丈夫だってこと、皆に知ってほしい。


3月29日に「ヤドカリハウスコンサート」がありました。
歌われたのは李政美さんです。
中止にならなくて本当に良かった。
コンサートの前に主催者の山田征さんからお手紙が届きました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

みなさまへ
3月29日にのコンサートは予定通り行います!!
ただいつもとはちがうものにしたい、と思います。いま起きている現実、そしてこれから先、何をどうしたらいいのか、一緒に考え、語り合い、明日への希望にかえていきましょう。そのために一人でも多く集まりましょう。

久しぶりにコンサートをやろう、やりたい、と思いヂョンミさんに連絡を取ったのは昨年暮れのことでした。その時はよもやこのような事態が現実のことになるなど予想しませんでした。でもいつかはこういう日がくるだろうということは原発に危機感を持つ者にとっては決して予想外ではなかったことも事実です。問題はそれがどういう形をとって私はたちの前に現れるのかはっきりと見えてはいませんでした。
一昨年(2009年)元旦の朝のことでした。私は時計の針が九時になるのをジリジリする思いで待ち、現首相の菅さんの自宅にデンワしました。詳しいやりとりははぶきますが、菅夫妻とは若い時から長いつきあいがありました。二人は私がまだ30代の若いころから原発問題にとりくんできたことをよく知っています。元旦の朝を狙ったのは、直人氏と直接話しをしたかったからです。おとそ気分でデンワくちに出た菅さんに私は、「菅さん、一生のお願いがあります。」と切り出しました。「私が若い頃からなんとか原発止めよう、とやってきているのは知ってますよね。いまは原発より危険な再処理工場止めたい、と頑張っているんです。でももう私達のような市民の力ではこの勢いを止められません。少し政治的な力のある人に動いてもらわないと、これはもう人類の危機、といってもいい話ですよ…」と私は迫りました。その時菅さんは以外と素直に「わかりました。少し時間ください。2週間ぐらいしたら…」ということだったのですが、その後もらったデンワで彼は「山田さん、申し訳ないけど、我が党は原発容認なんですよ。特に私の立場では…」と言いました。「そんなことぐらい知ってますよ、でもそれを承知であえて頼んでいるんです」とくいさがりましたが、後はかみあいませんでした。後日もう一度デンワで断ってきた時私は言いました。「菅さん、いまに必ず後悔しますよ。あの時私の言うことを聞いておけば良かった、と思う日が必ずきますよ。その時ではもう遅いんですからね…」ときつく言いました。
いままさにその事が現実となり、その本人が首相の立場で苦境に立ち往生しています。
官民揃って事態を小さく小さくみせようとしてきましたが、本当に「時すでに遅し」です。まるであざ笑うかのように、状況は悪化の一途を辿っています。この先、どのようにして収束していくのか、それこそ誰にも予想がつきません。
本当に予想もつかぬ広範囲、もの凄い数の方々の犠牲が日を追うごとに明らかになっています。これからどれほどの数にのぼるかわかりません。
私の住むこの周辺ですら、スーパーやGスタンドに長蛇の列が出来ている様子を見ますと、本当に人々の心が不安定に浮き足だっている様子がわかります。日本各地の友人知人からもさまざまなデンワがかかってきます。みなさん誰方も先が見えず、いま起きている現状をどう捉えていいのか、自分が何をすべきか、したらいいのかそれこそ逃げるべきか、とどまるべきかも含めてわからずにいる様子が伝わってきます。とにかく誰かと話すことで、自分の心に安定をとり戻したい、とり戻そうとしていることを感じます。
戦中戦後の非常事態はもうとっくに忘れ去られ、また全く経験のない人の数の方が高い割合を占めるいま、何不自由のない便利で明るすぎる物的豊かさに慣れすぎてしまい、巷に溢れる「安心、安全」という言葉は、中身のないただの浮遊物になり下がってしまいました。ですから本当に安心で安全な生活環境というものがどういうものなのかをほとんどの人が見失ってしまっている、と私は思っています。見せかけ、というか言葉だけの安心、安全、エコ、をうまく使ってとんでもないビジネスがはびこっているのがいま、という時代だと思います。
さて、福島でのあの惨状をみても、それでも「デンキのためには、やっぱり原発は必要」あるいは「生活が出来なくなる」という人が多いのに驚かされます。でもそれは、日本中の原発の全てが即止まっても決して停電しないことになっている(通常であれば)ことを、その仕組みをほとんどの人が知らない、知らされていないことによると思います。電力会社には電気の安定供給の義務づけがあり、今回のような地震、あるいは事故で緊急停止した時瞬時に切り替えることの出来る発電装置が用意されています。でも今回の場合は原発と同時にそちらの方も壊れてしまったために、大きな停電が起きたわけで、原発のせいだけではありません。その事をぜひ知っていただいて、原発がなければ、という洗脳状態をぜひ解除していただけたら、と心から思います。
この事態になってから一瞬考えました。「コンサートはどうしよう?」…と。
でもやることに決めました。今朝ヂョンミさんと話しあいました。なんとなく世間はざわついていますが、東京はまだ人々が集まることは可能です。少々不便な目に合うかもしれませんが…。
集まりましょう!そして一緒に考えましょう。一体、いま、何が起きているのか…。いろんな想いと現実を共有しましょう。いま人々はとても不安な思いを抱えているように思えてなりません。その証拠に3月11日以降どれだけ沢山の方々におデンワをいただいたかしれません。私達にいま何が出来るのか、何をしたらいいのか、どこに向かえばいいのか…。
そしてなにより、日々私達たちが便利に使ってきたデンキのツケを全て現地の人々の上に押しつけてしまっている現実…。共有しましょう強く吹いている風の中に福島からの放射能が確実に混っています。こんなに「福島」を身近に感じたことはありません。
この度亡くなられました多くの方々のご冥福を心よりお祈り申しあげます。

2011年3月16日 山田征

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



石垣島・白保、神戸、ヨルダン、モンゴル、フィリピン・パヤタス、古紙再生、海上の森、普賢岳、諫早湾、熱帯雨林、イラク、産廃の島・豊島、パレスチナ、渋谷・ホームレス、西暦2000年問題、ニューヨーク・国連、中国北朝鮮国境地帯、郵便番号、割箸、原発、フィリピン・北ルソン島、アフガン、平和憲法…世界を駆ける山田征さんの個人通信「ニライカナイ・ユー」。

山田征(ヤマダセイ)
1938年生まれ。二十四歳で結婚、以後は東京武蔵野市在住。四人の娘達の子育てと共に、農家と直接関わりながら共同購入グループ「かかしの会」を約二十年、地元の学校給食に有機農産物他食材全般を約十七年にわたり搬入。仲間と共にレストラン「みたか・たべもの村」をつくる。並行して反原発運動、沖縄県石垣島白保の空港問題他、さまざまな活動を経て、現在に至る。(「BOOK」データベースより)






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Last updated  2011.04.25 21:16:23



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