北京現地採用の不安
北京現地採用となると、勉強した中国語を使って、ただ日本人であるというだけで「現地では高いほうかも」という給料でまあ、楽しく過ごせる。若いうちはそれでもよいのかもしれないが、30歳という境目が2年後に控えた私の不安と懸念はますます大きくなる。私は大学4年間をあわせて8年も北京に居ついており、うち一次帰国は年1回の2週間程度という状態だが、その間も「生活の根」は日本に置いている、と思っている。物理的な生活拠点は北京だが。ほかにも数年、北京など中国で就労している日本人は多いだろう。しかし彼らは「生活の根」を日本に置いているのか、それとも現地に置いているのか。私は日本に置いているので、住宅ローン、老後に備えた貯蓄、病気や怪我の際の医療費、墓はどうするか…など、社会人としていずれは直面する問題を考えた時、それらは「日本での事」になる。たとえば北京で働き続けて、35歳時点で50万元貯金できたとしよう。「さあ、貯金もできたし、そろそろ日本に帰るかぁ」となったとき、この多額の人民元をどうやって日本円で日本に持ち帰るか。何かしら方法はあるだろうが、今の時点では難度が高いと感じる。それをクリアして日本に300万円を持ち帰ることができた場合、その年齢ならきっと住宅購入を考える。しかし、いままでさんざん北京で就労してきた人間が突然日本に戻ったところで、わずかな額の銀行ローンでさえ、組めるのはおそらく2年後以降のことだろう。北京現地での就労後、日本に帰国した時点で社会的信用はゼロだと思われる。クレジットカードの限度額もきっと超少ないだろうし、日本社会で犯罪履歴のない日本人という以上の社会的信用は本当にゼロに近い。その状態では自動車ローンすら組めない。ここで、「生活の根」は日本に置いていたはずだったのに、数年後に日本に帰ってみると、日本での社会生活に入れないのではないか、とかなり心配になる。友人や知り合いからの信頼はともかく、数年間北京で過ごした後、日本では赤の他人や、企業や銀行などの機関からの社会的信用がゼロであるという状態を免れない。これで自称「生活の根は日本に置いている」と言っても、まったく通じない話だろう。しかし、もしも「物理的な生活拠点も、生活の根も、ぜんぶ北京に置いているんですよね」と聞かれたら、それは否定したい。が、否定できないかもしれない。ということで、30歳までに日本に本格的に帰国することを考え始めている。最後に一言現地採用は計画的に