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きょうは久しぶりに外出。と云っても選挙の投票所に行っただけ。小雨が降っているのだが、いやに蒸し暑い。天気予報によると、関東地方は真夏日の気温だったようだ。そんなわけで、投票をすませるとさっさと帰宅。
猫たちが、ちょっと庭に走り出ては、背中を濡らして帰ってくる。そのたびに濡れたからだを拭いてくれと鳴く。足を拭いてやったり、まあ忙しいことだ。 「ニャめろと言われても、GO!GO!」 「いまでは遅すぎる、ニャー! ニャー!」 「オマエたち、いいかげんにしろ!」 「ニャだよ~」 さて、日記のほうは、八総鉱山の蝶と昆虫にまつわる思い出。 清瀬川の滝下のあたりでは、しばしばコムラサキをみかけた。川岸の小薮のなかにネコヤナギ(カワラヤナギ)があった。コムラサキの食樹はヤナギやポプラの類いだと図鑑にある。まさにその説明のとおりだったのだ。 ネコヤナギは龍沢川が清瀬川に合流している辺りにも繁っていた。しかしこの蝶を私は滝下以外で見かけたことはなかった。美しい紫の輝きを放ちながら、滝水を背景に舞う姿はすばらしかった。 八総にいたときはいろいろの研究や分類標本をつくった。シダ類の葉裂の研究をした。風媒花の種子の標本をつくった。蛾の標本もつくった。 蛾の採集には接待館の玄関前の誘蛾灯がおおいに役立った。そして、父に頼んで会社の工作課の方の手をわずらわして作ってもらった標本箱に収めた。 水棲昆虫や水棲幼虫の標本もつくった。ゲンゴロウの成虫および幼虫。アメンボ、エラミミズ。あるいはトンボの幼虫や、トビゲラの幼虫などだ。私の標本には慣れっこになっていた母も、この水棲幼虫はさすがに気味悪がった。しかし、しばらくすると、私の留守中にみつけた幼虫などを採集しておいてくれるようになった。長いハリガネムシを採集しておいてくれた時には、その変りぶりに私のほうが驚いてしまった。それらのアルコール漬けの小瓶や試験管が、例の廊下の机のうえにならんでいた。 小瓶の標本容器は、ペニシリンの空き瓶だった。診療所に行ってM先生にもらってきたものだ。私がわけを話すと、先生は煮沸消毒した空き瓶を10本20本とくださった。町にでかけて、瓶の口に見合うコルクを買ってきて栓をすると、とてもよい標本容器になった。 M医師とペニシリンといえば、こんなことがあった。私が怪我をしたかして化膿でもしたのだったろうか。私自身がペニシリン注射されることになった。体質に適合するかどうか検査するために、試験用に少量の注射をされた。反応が出るまでしばらく廊下の長椅子に坐って待つように言われた。私はそんな〈危険〉な注射をされるのが嫌で、そのまま逃げるように家に帰ってしまった。突然患者が消えてしまったのだから、M先生は驚き、たぶん呆れてしまったことだろう。私はそれ以後、診療所に行ったことがない。私の病気はどうなったのだろう。記憶にないのだが、自然に治癒してしまったのだろう。その後は、身体に何か異常があると、母は私をM先生の自宅に行かせた。先生は私の家の3軒隣の社宅に住んでいたのだ。 先月、私は40年ぶりに会津若松市を訪ねた。M医師は同市にお住まいとうかがったが、重い病気だった。東京に帰った翌日にお亡くなりになったと、人づてに聞いた。あのとき会いに行くべきだったか、と慙愧に似た想いが胸に去来する。 昆虫にまつわる瀕死の思い出がある。 私は4年生だった。中学生のマコトさんと一緒に、清瀬のはずれに遊びに行った。何をしに行ったのか覚えていないが、1年生だった弟と、もっと幼かったタツヒコちゃんがついてきた。滝のあるあたりを過ぎてしばらく歩いたところで、私とマコトさんは山際の草薮のなかにイタドリを見つけた。たしかそれを採って茎を齧ろうとしたのだ。イタドリの茎は酸っぱい汁がでて食べられるのである。小さなふたりを道端に残し、私とマコトさんは草薮に入って行った。 とその時だった、タツヒコちゃんが奇妙な叫びをあげたのだ。振り返ると、その足許の地中から真っ黒い煙のようなものが唸りをあげて空中に飛び出していた。 「ハチだ! 逃げろ!」 マコトさんはいち早く身をひるがえして走り出した。小さなふたりは竦んで動けず、泣きだした。ハチは一旦空中にたなびくように散ったが、たちまち真っ黒にかたまってタツヒコちゃんの方へ向って襲いはじめた。 駆け寄った私は彼におおいかぶさりながら、マコトさんに弟をつれて逃げてくれるように叫んだ。羽音すさまじくハチは私の頭に群がり、刺した。払い除けるとワッと飛び去るが、すぐにまた三角形の編隊を組んだ。何千匹の群れだったろう。真っ黒な三角のおおきな雲が、私の頭のつむじ目がけて襲ってきた。私はタツヒコちゃんを懐にかかえこんだまま、追い払うこともままならなかった。 どのくらい時間が経ったか分らない。そのとき行手に自転車に乗った牛乳屋さんがやってきた。配達の帰りだったらしい。 「たすけてください! たすけてください!」 私の声は悲鳴だった。牛乳屋さんは仰天して、着ていた紺色の半纏を脱いで、私の頭のうえに叩き付けるように打ち振るった。私はタツヒコちゃんを走らせた。 ----それからどうやって帰宅したのだろう。記憶がとぎれている。全身の焼けるような痛みに泣叫ぶ私を、近所のおばさん達が介抱した。「気が狂うから、泣くんじゃない」と母が言った。Hさんのおばさんが、新しい草履を持ってきて、それで私の頭をこすり、皮膚にささった針を取った。横たわった私の周囲に、ハチの死骸が山となった。 帚で掃きあつめる母に、私はほとんど息もきれぎれになりながら、「捨てないでちょうだい。あとで調べるから」と言った。 母は私のタチをよく知っていたので、塵取りにうずたかくなったハチの死骸を、だまって廊下の隅においた。 それはツチスガリというハチだった。体長12~14mm。地中に営巣するので、外からは見えないのである。そして、刺しかたを観察すると、どうやら獲物に針をつきさしたハチは、獲物のからだに針を残して死んでしまうらしかった。私のからだや頭髪のなかにあったハチの死骸には、どれも、針がついていなかった。 私はショック死をまぬがれて生還した。 ---------------------------------------------- 八総(荒海関本・滝の原)の蝶 (1)キアゲハ、(2)ミヤマカラスアゲハ、(3)カラスアゲハ、(4)クロアゲハ、(5)アゲハ、(6)アサギマダラ、(7)スジグロチョウ、(8)モンシロチョウ、(9)キチョウ、(10)モンキチョウ、(11)キベリタテハ、(12)コムラサキ、(13)スミナガシ、(14)ミスジチョウ、(15)ミドリヒョウモン、(16)オオウラギンヒョウモン、(17)イチモンジ、(18)コヒョウモン、(19)ウラギンヒョウモン、(20)ギンボシヒョウモン、(21)アカタテハ、(22)クジャクチョウ、(23)ルリタテハ、(24)キタテハ、(25)シータテハ、(26)エルタテハ、(27)オオイチモンジ、(28)サカハチョウ、(29)ヒメキマダラセセリ、(30)コキマダラセセリ、(31)キバネセセリ、(32)ミヤマチャバネセセリ、(33)コチャバネセセリ、(34)オオチャバネセセリ、(35)ダイミョウセセリ、(36)ウラナミシジミ、(37)ミドリシジミ、(38)ベニシジミ、(39)アカシジミ、(40)ウラナミアカシジミ、(41)ルリシジミ、(42)ヒメシジミ、(43)スギタニルリシジミ、(44)ツバメシジミ、(45)シルビヤシジミ、(46)ツマジロウラジャノメ、(47)コジャノメ、(48)クロヒカゲ、(49)ヒメウラナミジャノメ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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