午後3時半、新橋のスタジオ。昨日撮影した作品のポジ・フィルムを受取る。ふたつのヴァリエーションを作ってくれている。こういう気のまわしかたが嬉しい。ありがとう。
帰りにしばらくぶりに銀座まで足をのばす。クリスマスのウィンドー・ディスプレーを楽しみながら伊東屋に行く。
イタリヤのタッソティの美しい装幀のブランクブック(いわゆる何も書いていないスケッチブックのような白い本)を買う。A5判ハードカバー。これを買ったのは訳がある。昨夜、limeさんのブログを拝見したところ、御自分の顔が好きだと書いておられた。自分の生き方が気に入っているので顔も気に入っている、と。私はとても面白く感じた。とくに女性の自己表明として、様々なことを思いめぐらしつつ心に深くうけとめた。女性は男性より鏡のなかの自己とむきあう回数が多いだろう。いわゆる素顔のほかに化粧した顔というものを持っている。化粧が女性にとって精神的な健康療法になっていると聞いたことがある。また、某有名化粧品メーカーの研究所の方が、「女性に対して、あなたは醜いと言いつづけるのが私の仕事です」と私に告白したことがある。鏡のなかの女の顔とはその女性自身にとって如何なるものなのか、これは私にとって興味あることだ。近頃は、美容整形と称して、ファッションのように自分の顔をかえる人が少なくないらしい。女性ばかりでなく男性にもそういう傾向があるのだと聞く。そういう風潮のなかで、limeさんは自分の生き方と顔をむすびつけて、はればれと自己確信を表明している。私はそこに感じ入るものを発見するのである。
一方、私は画家としては、長い間、私個人の問題を絵の主題にすることにはまったく関心がなかった。私の関心はもっぱら自己を超越したところに向っていた。ムンクについて論文を書いているが、私とはまったく異質な画家を標本観察のように考察したのだ。ムンクは自己愛者で、終生、自分自身にしか興味がなかった画家である。私はといえば、日常生活のなかで鏡を見ることもあまりしない。仕事場にとじこもっていることが多いので、不精髭を伸し放題。頭髪もストレート・ヘアなので、鏡を見なくても櫛を入れることができるのだ。ヘアスタイルにも関心がない。
----ところがである。7年くらい前に、突然作品のなかに自画像を描きたくなった。自分でびっくりした。この衝動は何だ、と思った。それを探るために『自画像日記』の制作を始めた。制作というほどおおげさなものではなく、たんなる素描である。まあ、これを描いたから何かが解明されたのでもないが、とにかく長い期間にわたってほぼ毎日、鏡のなかの自分の顔をみつづけたわけである。
『自画像日記』から7年が経ってしまった。昨日limeさんのブログを拝見して、もう一度あらたな『自画像日記』を制作してみようかなと思ったのだった。しかしこれは意外にシンドイことなのだ。いまこのモチヴェーションを維持するために、以前からほしかったタッソティのブランクブックを買うことにしたのである。何か特別な環境をつくればそれに引き摺られてモチヴェーションがたかまり、いったん手をつければドンドンやってしまうだろう。これは私の自己操縦術である。
伊東屋を出てから教文館(書店)に行く。釈迦楽さんが教えてくださった『アンダスン短編集』を買うため。が、あいにく無かった。現行本として探すのは無理かもしれない。
映画のDVDを購入。1925年のルバート・ジュリアン監督『オペラの怪人』と、ヒッチコックが独立プロデュサーとして製作・監督した1945年の『山羊座の下に』。
『オペラの怪人』はサイレント映画の傑作として知られている。名優ロンチャニーが主演している。私がカバー絵を担当した文春文庫『ミステリー、サスペンス洋画ベスト150』の背に、このロン・チャニーの怪人を描いている。しかし、じつは私はこの映画をまだ見たことがなかった。1925年のサイレント映画なので見たいと思って簡単に機会がめぐってくるわけでもない。今日はじめてDVD化されているのを見つけたのだ。
『山羊座の下に』は日本未公開作品。この映画、ヒッチコックが失敗作と自認しているものだ。名作『レベッカ』の焼き直しといったような作品らしい。見るのが楽しみだ。
DVDを買ったはいいが、時間がないのでまだ見ていないものが随分たまってしまった。弟がその山をみて、「全部見るのにザッと200時間かかるな」と言った。
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