50号の下塗りがまだ乾かないので、次の作業ができないでいる。こういう極初期段階はあわててはいけない。物理的な条件と制作意欲とは、かならずしも反りが合うというものではない。
油彩画の組成は、絵の具の層の仕組みが大切。下層(プリーミア・レイアー;premier layer)から次第に積み重ねて上層(トップ・レイアー;top layer)まで行く過程に、それぞれの画家の技法論(メソドロジー;methodology)としてのオリジナリティーがある。油彩画の用語はフランス語が多いが、メチエ(metier)と言っているのがこれだ。そしてマチエール(matiere)と言うのは、画家特有の技法でできあがった絵の具の上層に表現された画肌のことである。
油彩画のおもしろさの一つはこの画肌にある。特に現代美術における油彩画は、画肌を重要視する傾向にある。たとえば古典画は、その保存上、かならずと言ってよいほど保護ニスをかけてあるが、現代油彩画の場合、むしろその処理をしない。私が「油彩画のおもしろさ」と言ったのは、古典画にしろ現代画にしろ、この画肌だけは実物を見る以外に知る手立てはないからである。レンズが高度に発達し、またフィルムも高精度になった写真、---デジタル化されてあらゆるところに焦点をあわせることが可能になったにしろ、油彩画の絵肌を再現することはできない。それらデジタル写真とコンピューター制御の組み合わせによる高性能印刷機も不可能なのだ。高価な美術印刷は、普通オフセット4色刷りを20色30色使用して印刷するが、それでも原画の色彩を再現するのが精一杯である。
私は印刷を目的としたイラストレーションを制作し、また印刷を念頭におかない絵画としての作品も制作している。イラストレーションというのはかならずコラボレーション(他人との協同作業)なので、イメージの表出もそれなりの制限があるにはある。しかし絵画との一番の違いは、私の場合、印刷でより良く再現出来るかどうかである。つまり、画肌の作り方が全然違うのである。
話がどんどん別な方向に発展してしまった。もとに戻そう。
油彩画の組成を考えにいれると、下塗り層(プルミエール・ド・クーシュ;premiere de couche)は非常に大切である。しかも作画初期というのは制作意欲が昂揚しているので、どんどん作業を進めたくなるもの。いまの私の状態がまさにそれだ。
今日の作業ができないので、もてあましたエネルギーを別な作品制作に割り振ることにした。25号の作品を2点。私はあまり掛け持ちはしないのだが、今回はエネルギーの自己制御の目的である。
昨年は父の死によって、普段とはことなる仕事に忙殺され、また、後に気が付いたのだが、そのことで私の歯車が狂ってしまい、なかなか画業に集中できなかった。昨年の年の初めに、一年間分として145cm巾のキャンバス1巻(5m)プラスαを購入した。それがほとんど手付かずに残っている。今年はそれを消化したいのだ。
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Last updated
Jan 25, 2006 01:00:41 AM
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